「突然街中に出現する本屋・
いつの間にか、日常に「本」が忍び込んでくる……。
サンドイッチに挟まっていると、なんでもおいしそうに感じるのはなぜだろう。
ハムエッグやツナ、ホイップクリームにイチゴ、きんぴらごぼうや小豆まで、パンに挟んでおいしくないものなどない。
犬も食わない夫婦喧嘩も、花見を過ぎた牡蠣も、パンはパンでも食べられないフライパンも、パンに挟めばおいしくいただくことができる。
しかしサンドイッチの人気が高まるにつれ、ある問題が指摘されるようになった。
本来人は、食べるためにサンドイッチに食材を挟んできた。
近年では「そこに挟めそうなそうなものがあったから」という理由でサンドイッチに本を挟みはじめ、書斎に保管していたはずの本が食べられるという事態が続出している。
劃桜堂の店主レベルにもなれば、一日に読む本の数は3冊だが、食する本の数は28冊だ(つまりパンの枚数はさらにその倍である)。
そういうわけで、サンドイッチに挟まっていそうな本を紹介する。
チーズの図鑑
本間 るみ子(著)、KADOKAWA/メディアファクトリー、2015年03月
チーズの図鑑がパンに挟まっていても気づきようがない。
私はいま、一口かじった後でパンから抜き出した本書を読みながら原稿を書いている。
読書は大事だが、チーズも読書と同じくらい重要で甲乙つけ難い。
もし「読書とチーズどちらが重要ですか?」と聞かれれば、「読書です!」と答えながらチーズを食べる。
本書は厳選された148種類のチーズを写真付きで産地や原料、食べ頃や食べ方まで紹介してある。
チーズ好きとして、一生手元に置いておきたい本である(この後おいしくいただきました)。
インドクリスタル
篠田 節子(著)、角川書店、2014年12月
おいしいものは輝いて見える。
イケてる女子のInstagram(#お洒落なカフェでランチ)を見れば明白である。
しかし、輝いてみえるものがおいしいわけではない。
これもイケてる女子のInstagram(#今日は久々のネイル)を見れば明白である。
人は普通、まずインドクリスタルを食べてみようなどとは思わない。
しかし、インドクリスタルがパンに挟まっていたとしたらどうだろうか。
そう、人々はサンドイッチを前にすると理性を失うのである。
これもまたイケてる女子のInstagram(#今日は理性を失った)を見れば明白である。
輝いているインドクリスタルを口にしないためにはどうすれば良いのだろうか。
それにはまず、相手への理解を深めることが重要である。
本書は、先端宇宙産業の原材料としてクリスタルを求め、インドへ辿り着いた男性が主人公である。
インド政府や裏の組織、武装勢力など、さまざまな思惑が絡み合い、迫力満点のストーリーだ。
誤飲(食)防止のつもりでパラパラとページをめくってみよう。
きっと我を忘れて読み進めるだろう。
あいだ
木村 敏(著)、筑摩書房、2005年09月
パンの間に挟まってる本ランキング第1位は、『あいだ』に決定した。(※2017年、劃桜堂リサーチ)
本書の内容は難解で、何度読んでも内容を理解することはできなかった。
しかし、一つだけ分かったことがある。サンドイッチは生きているということである。
生きているとは、「生命の根拠」というものがあり、生命がその「根拠」とのつながりを維持している状態である(らしい)。
例えば、音楽は単に音と音とが独立して存在するわけではない。
音楽は、音を作り出す主体的な行為と、その作り出した音を聴く受動的な行為によって生み出される。
作り手は、刹那に鳴る音を音楽へと昇華させることで、自身の内にある音楽との「つながり」を生みだしているわけである。
つまりサンドイッチとは、単にパンとパンの間に食材が挟まっている状態のものではない。
それを口にするとき、食感や香りだけでなはなく、過去に食べたサンドイッチの味や、期待する理想の味を想起させる。
さまざまなつながりを生む「あいだ」を持つ、サンドイッチを生命と呼ばずになんと呼ぼうか(反語)。
余談になるが、「いきいきと」生きることは難しい。
「プリクラのJKのようなキラキラした目で頑張ります!」と宣言したところ、「プリクラのJKは目が死んでる」と言われてしまった。
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