この連載は、「くま美術店」の代表取締役玩具COG・くまが「アートをやめた人」の話を聞いて、謎の多いアート業界を裏側から掘り起こしていく企画です。
今回話を聞くのは、文化財を守り、その価値を広げていくお仕事をされている宮本晶朗さん。宮本さんのこれまでと、仏像についてのお話を合間にはさみながら「東京国立博物館」からお届けします。
今回お話を聞く人……
宮本晶朗(みやもと・あきら)
1976年生まれ。早稲田大学卒業。東北芸術工科大学大学院 保存修復領域(立体作品) 修了。
2008年から、白鷹町文化交流センターにて学芸員として勤務し、仏像などの文化財の展覧会や講演会を企画・開催。また、東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター学外共同研究員として、山形県内を中心に仏像等の調査・研究や保護活動に参加。
現在は、地域文化財の保護・修復の支援をおこなう株式会社文化財マネージメントを経営。日本初となる「仏像修復クラウドファンディング」を実施。現在までに、仏像修復費調達のためのクラウドファンディングを2件達成している。
今回、宮本さんにはその専門知識をいかんなく発揮していただくため、「東京国立博物館」にてお話を伺います。
それでは宮本さん、よろしくお願いいたします。
早速ですが、宮本さんは美術大学大学院を修了されていますが、ご自身の作品は全く作られていないと聞いています。
宮本さん個人の表現活動をやめられたのは、いつだったんですか?
もともと、「アートをやるぞ!」という意識がなかったのでなんとも言えないんですが、高校生のときかもしれません。
そうですね。小さい頃から絵を描くのが好きで、いわゆる「お絵かき少年」だったと思います。
中学に入ってもそれは変わらず、高校でも、友だちと絵を描いて遊んでいたりしました。
でも、高校の途中で「自分の作品はもういいや」と思った。なにがきっかけだったんですか?
いや、特にきっかけもなくて。
なんとなく、遊びで絵を描いているだけでも、自分より上手な人はたくさんいるなと感じていました。
自分の周りの小さな世界ですらそうなのだから、世の中にはもっともっとうまい人がたくさんいるのは明白。
僕がその中で勝負していくなんて無理に決まっているなと、早々にやめました。
絵を描くことは好きだったけど、もっとうまい同級生がいて、アートの道はあっさり諦めたんですね。
まぁ、そんなところです。全く深くは考えていませんでした。
なんだか、あっさりしすぎていて、拍子抜けというか。
でも、よく考えてみれば、なにかをやめるきっかけってそんなものなのかもしれませんね。
日常の中で、なんとなく諦めていったことって、たくさんあるものなぁ。
とはいえ、それからすぐにアートから足を洗ったワケでもない?
はい。人文学系の視点で美術を掘り下げてみたいと思い、美術史を本格的に勉強してみようと思いました。
それで、いまはなき早稲田大学第二文学部に入学します。
おお! 小説家を多数排出している、あの?! じゃあ、宮本さんも小説家になろうと?!
いいえ。美術史って言いましたよね。
小説は書いたことありません。
では、やっぱり美術史の研究者になろうとされていたんですか?
それとも、保存修復の基礎知識をつけるためですか?
いや、そこまでいろいろと考えていたわけではなくて。
「やっぱりアートが好きだし、その歴史を知りたい」という気持ちです。
だから特に将来のことや、保存修復をしたいということもなかったんです。
帝釈天立像(平安時代・10世紀、東京国立博物館蔵)。
『9〜10世紀前後の仏像は、頭部と体幹部を一本の木で作る「一木造(いちぼくづくり)」が主流でした。この仏像も一木造で作られています。その後、効率化や、大きな木の減少のため、いくつかの木を接合して作る「寄木造(よせぎづくり)」へと変わっていきます。
この仏像のように一本の木から作る場合、主に一人の手で、時間をかけて作られたことが想像できます。そのため、作った人の個性が出やすく、独特の仏像が多くあるのも、この時代の特徴です。
ただ、一木造で内部をえぐっていない像は、重量が重くなることと、木の割れが入りやすいということがあります。この仏像も、背面に大きな亀裂が入っています。また、この時代では、木そのものを神の依り代とみる考えも強く、その木を生かすかたちで彫刻された像も少なくありません』。
大学3年生のときに、たまたま受けた演習が「美術作品の古典技法と修復」で、それがすごくおもしろかったんです。
古い仏像を、実際に修復する過程や方法について、修復家の先生が解説してくれるというものでした。
なんとなく言葉としては「修復」というものを聞いていましたが、本格的な話はそこで初めて聞いて、おもしろいなと思いました。
そうですね。絵を描くことと同じように、小さい頃からずっと好きでした。
好きでした。
なにがきっかけか覚えていないぐらい昔から、自然に仏像のことは好きでしたね。
まぁ、仏像だけではなく、立体の造形物全般が好きで。かっこいいなと思っていました。
ええ、そうですそうです!
ガンプラ(※ガンダムのプラモデル)はたくさん作っていました。
だから、僕にとっては仏像もガンダムも、同じように「かっこいいもの」だったんですね。
そんなこともあり、仏像の修復に惹かれていきました。
気持ちとしてはそうだったんですが、彫刻作品の保存修復技術を実際に学ぶとなると、日本の大学教育では東京藝術大学大学院と東北芸術工科大学の2校しかなかったんです。
僕は彫刻の基礎的な技能がなかったので学部から入ろうと思いましたが、学部から修復を学べるのは東北芸術工科大学だけ。
そこで、大学卒業後にもう一度受験勉強から始めました。
そうですね。いちおう働きながら、夜は美大受験予備校に通ってデッサンなどの受験準備をしました。
すごい情熱ですね。
で、無事に東北へ飛び立つわけですか。
ちなみに、具体的に保存修復を学ぶとは、どんなことをするんですか?
よくイメージされるような手わざ的なことだけでなく、修復倫理、美術史、文化財科学を学ぶ必要があり、大学の4年間では時間が全く足りません。
それでも、そうしたことをを一通り学び、卒業研究で実際に一作品の修復作業をしました。
私の場合は、卒業後に大学院に進学し、そこでまた研究をして作品の修復も行いました。
不動明王立像(平安時代・12世紀、東京国立博物館蔵)。
『こういった細かい紋様や、遠くに置かれた仏像を鑑賞する際は、双眼鏡が便利です。
これは不動明王という仏像ですが、先の帝釈天に比べると、厚みも少なく、穏やかな雰囲気で作られているなど、様式の変化がよく分かります。この様式の変化は、社会情勢や信仰のあり方の変化によって、その当時の人々の好みが変わっていったことに由来します。
また、分業化も進んでいたので、この像も、何人かの手で作られていったと思われます。
この像の大きな特徴は「目」。玉眼という、水晶の目が入れられています。本来、この時代には、この玉眼を入れることはなく、その後の時代に修復を受けた際、仏師が改造してしまったのだと想像できます。顔の一部が白っぽくなっているのですが、おそらくここから割られ、内側をくりぬいて玉眼が入れられたのでしょう』。
そうですね。
その中のフィールドワークで、実際にお寺に行って調査をしたり、大学に依頼された仏像修復のお手伝いをしたりしました。また、大学院修了後は山形県内で学芸員をしていたのですが、地域のお堂にある仏像を掃除したり、地域の人たちとお話ししたりもしました。
そういう実地での経験は、とても貴重なものだったと思います。
私はそう考えています。安置環境を良くすることも、保存の上では大切なことです。
修復といっても、いろいろなニーズや方法があり、どこまでをどう直すのかは議論の尽きないところです。
解体して徹底的に修復することもあれば、溜まった埃を丁寧に除去するのも大切な修復作業です。
所有者とのコミュニケーションも大事で、いわゆるアーティストと違うのは、修復家は自分のしたいことを軸に作業していいわけではないことです。
学芸員時代に、勤務館のギャラリーにて展覧会のために借りてきた仏像を 刷毛で清掃しているところ。 東北芸術芸術工科大学文化財保存修復研究センターとの共同プロジェクト。
学芸員時代に、東北芸術芸術工科大学文化財保存修復研究センターの 文化財の保護活動に参加しているところ。 仏像の台座の応急修復と清掃をしている。
(左)学芸員時代に、勤務館のギャラリーにて展覧会のために借りてきた仏像を刷毛で清掃しているところ。 東北芸術芸術工科大学文化財保存修復研究センターとの共同プロジェクト。(右)学芸員時代に、東北芸術芸術工科大学文化財保存修復研究センターの 文化財の保護活動に参加しているところ。 仏像の台座の応急修復と清掃をしている。
なるほど。
やっぱり、汚れたり、傷んでいる仏像は多いのですか?
はい。
地方の、特に過疎地域の小さなお堂となると、日常的な手入れが困難だったりで、雨風が吹き込んでいたり、ネズミが走り回っていたり。
やっぱり、信仰の対象として何百年と地域の中心にあるものですから、そういった状態で放置していいものではないと思うんです。
特別な信仰心はありません。
家のお墓はお寺にありますが、深いお付き合いがあるわけではなく、ふつうのご家庭と変わらない状況だと思います。
それでも、信仰の対象としての仏像を守っていくことに意義を感じられているんですね。
大学院時代に、修士研究で近代彫刻作品を修復しているところ。
作品は、新海竹蔵《母子》(1915年)で、山形大学附属博物館所蔵。
もちろん。やはり、地域の精神的な象徴でもありますし、個人的にも「形が美しいな」と感じていましたし。
なにより、日本の仏像というのは、多くが木でできているので、ずっと誰かにケアされているものなんです。
そうです。
古くからある仏像は、時の流れの中で、何度も修復をされています。
その時々の仏師などの方々が、できる限りの技術を使って、より良い状態で後世に残していこうとしたものが、いま我々が目にする仏像。
そのつながりを、いまの時代で途絶えさせるわけにはいかない、という使命感のようなものがあります。
だから、仏像を修復することは、時代を超えたコミュニケーションだと思っています。
なるほど。
ちなみに、いわゆる「現代アート」と呼ばれるような、新しい、それまでと大きく異なる美術作品が生まれてくることはどう思っていますか?
それは、すごく大切なことだと思っています。
仏像も、作られた当時はとっても「新しいもの」だったんです。技術的にも、思想的にも、見た目にも、すごく斬新だった。
だから時代によって、表情も体型も、使われる素材や技法もかなり違ってきます。たぶん、鎌倉時代の人が、江戸時代の仏像を見たら、「なんだこれ??」っていうほどの衝撃を受けるようなものもあると思います。
いまの時代でも、新しい表現のかたちが出てくるのは、当然のことだと思っています。
でも、この時代になっても、仏像自体のかたちはそんなに変わっていませんよね? 現代的な仏像っていうのは、あまり見たことがないです。
そうですね。明治時代以降もそういった試みをしている彫刻家はいるのですが、必ずしも一般的ではありませんね。
いままでの流れの中から考えれば、素材から技法まで、全く新しいかたちの仏像があってもいい気はします。
一つには、仏像の姿に完璧な決まりごとがあることがあげられると思います。
先ほど、鎌倉と江戸の仏像はぜんぜん違うと言いましたが、共通する部分ももちろん多くあります。
例えば、大日如来なら手は胸の前で忍者みたいにして、足を組んで坐る。薬師如来なら薬壺を持っていて……というふうに、仏像の種類は姿やポーズの違いで決まっています。
それぞれの仏像の種類の枠組みは、ずっと変わらずに守られているんです。
スポーツと似ているな。野球なら、新しい変化球や戦術ができたとしても、打って走ってホームに戻るという、根本のルールは変わらない。
慶算作の毘沙門天立像(鎌倉時代・1271、東京国立博物館蔵)。
『前の二つに比べて、勇ましい印象を受けると思います。鎌倉時代に入り、武士の依頼による仏像制作が多くなり、従来の規範に制約されない新しい様式が出てきました。
これは鎌倉時代の最も有名な仏師・運慶よりも少し後の時代に作られたもので、体がややヒョロッとしていますが、そうした像も割と多くなります。運慶が極めていった実際の人体に近い写実的な造形からは離れ、例えばこの像の顔の表情のように、誇張された表現が目立つようになっていきます』。
そのとおりです。
仏像も同じように、新しい変化があっても、基本のルールのようなものは、全く変わらない部分があります。
そうすると、現代の若い作家さんが独自の表現で……ということが、なかなか難しくなります。
そうですね。仏教を信仰していないアーティストからすると、「なんでそんなルールを守らなきゃいけないの? だったら自分はぜんぜん違う表現にいくよ!」って、なるかもしれません。
それでいいと思います。
ただ、仏像も現代アートも、日本の美術というものの中にあるジャンルの一つです。
根底に流れる、人間の表現欲求とか、美しい形を見て感動する心などは、同じものだと思います。
そういう意味で、日本の現代アートのルーツを仏像に見ることもできますし、現代アートの中から古い仏像の思想を見出すこともできます。
だから、新しいものと古いもの、どちらが大事かという話ではなく、これからの時代のために、どちらもしっかりと残していくことが大切だと思っています。
最初にも言ったとおり、僕にとっては、仏像もガンプラも現代美術も、同じようにかっこいいものです。できるだけ、その価値を伝え、残していきたいと思っています。
確かにそうですね。
そのために、宮本さんはどんな活動をされているのですか?
大学院を修了し、紆余曲折あって、いまは独立して「文化財マネージメント」という会社を経営しています。
これは、2つの事業を軸にしています。
一つは、文化財を守ること。ただ修復を行うだけでなく、最大の壁となっている修復費用を集めるために、クラウドファンディングを利用するなど、いままでにないかたちで文化財を守っていくことを実践しています。
二つ目は、文化財を広げること。地方の過疎地域などにある文化財の価値や意義を見直し、地域の内外の人に知ってもらうことで、盛り上げていきたいと考えています。
なんてすばらしいビジネス!
僕も仏像はものすごくかっこいいものだと思っているので、応援しています。
それにしても不思議ですよね。
宮本さんは、アートが大好きだったのに、そのど真ん中といえる「アーティスト」という道からは早々に離れてしまった。
特に挫折があったわけでも、苦労の末に諦めたわけでもなく、なんとなく「アーティストはならないよ〜」と決めてしまった。
そうなると、多くの場合、趣味で絵を少し描いたりとか、たまに美術館に行く、ぐらいの関わりになっていくと思うんです。
でも、宮本さんは、仕事としていまもアートに関わり続けている。「アートで飯を食っている人」になったわけです。ご自身の作品は作られていないけれど、アートで飯を食べていることには変わらない。
早々に作ることをやめた人が、アートで飯を食べるということを、ものすごく自然に、さらりとやっているって、不思議だなぁと思うんです。
そんなに欲がなかったのが幸いしたのかもしれませんね。
本日はありがとうございました。
最後に、この、宮本さんがガン見している「不動明王立像」。
不動明王立像(平安時代・11世紀、岡野哲策氏寄贈、東京国立博物館蔵)。
『この像は衣文(※仏像の服のドレープ)が、「柔らかく」なっています。11世紀は、ヘヴィな雰囲気から穏やかな雰囲気に変わった頃で、特に衣文の変化が顕著です。
材は桜の木が使われているので、非常に硬く、二の腕の装身具の細かな模様までがしっかりと彫り込まれています。仏像の素材は、使用してもいいとされている材がいくつか決められていました。もともとは「白檀(びゃくだん)」という香木が使われていましたが、日本では非常に希少な木だったため、榧(かや)などが代用されはじめ、この仏像のように、桜も使われることがありますが、11世紀以降は桧(ひのき)が一般的になっていきました』。
こちらは、サクラ材を使って作られています。
ということは、お花見。
現在、東京国立博物館で、桜めぐりイベントを開催中。「さくらスタンプ」を5つ揃えたらオリジナル缶バッジがもらえるそうです。
この「不動明王立像」も「さくらスタンプ」ポイントの一つ。
ぜひ見に行ってみてください。
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