筆者は幼少期の5年間を、ドイツのハンブルグという街で過ごした。2016年の今年、帰国して25年が経つ。この間にもいくつかの国へ訪れ、人生のハイライトに数えることのできるすばらしい経験をし、母国・日本でたくさんの時間を過ごしてきたが、いまもハンブルグは、私にとって特別な場所として存在し続けている。
3年前から、長い友人である江崎絢子がこの街で暮らしている。私は両親と弟と暮らし、彼女は夫と息子と。30年という時の流れを経て、ハンブルクという街はそれぞれの目にどう映るのだろう? そこで、彼女を誘ってこの連載を書くに至った。
第3回目の今回からは、江崎絢子が彼女の目を通じたハンブルグを描く。
1つの街でも、その表情は見る人によって違うだろうーーもしこれを読んでくださるあなたがいつかハンブルグを訪ねたとき、あなたの目に映ったハンブルグもぜひ聞かせてほしい。
ハンブルグとの出会い
私・江崎絢子は、アメリカ北東のコネチカット州で大学留学し、その後は仕事でワシントンD.C.に数年滞在した。そのとき知り合ったドイツ人のパートナーと一緒に住むようになってから、自分たちのライフスタイルに合った居場所を探すようになった。
仕事のつながりで何度か訪ねたオレゴン州のポートランドを二人ともとても気に入り、アメリカ滞在の最後の数年間はポートランド内で「相性が良い」と思える地元のコミュニティも見つけ、とても心地良い生活を送られた。
そんな背景もあり、ドイツに引っ越すことになってから、どこに住むか決めるのはなかなか難しい決断だった。選択肢は、彼が出身の南ドイツの小さな町と首都ベルリン。その次に挙がったのがハンブルグだった。
あまりよく知っている街ではなかったけれど、「国際的で雰囲気が良い」という点が私たちの希望に合っていそうだったこと、仲の良い友達が数人いたこと、そして川と湖が生活の一部である水が近い都市であるという点が、私たちにハンブルグを選ばせた主な理由だった。
ドイツを訪ねたことは何回かあったが、私は引っ越すまでまだ一度もハンブルグに行ったことがなかった。自分の目で見て体験したことのないところに住むというのは勇気のいる決断だったけれど、「李依が昔住んでいて故郷として慕っているところに住むなんて、素敵な偶然」というワクワク感もあり、「きっとこれでいい」という思いにつながった。
心地良い生活をともに楽しむ友だちとのつながり
実際住んでみると、最初の頃はこの街に住む魅力があまり感じられず、「本当にここでよかったのかな」と迷うこともしばしばだった。
でも時間とともにハンブルグの地元体験を楽しめるようになり、愛着を抱くようになってきた。その変化に一番大きく買っていたのは、ハンブルグで出会った友人たちの存在だ。
ハンブルグは国際貿易で繁栄した歴史もあり、「世界への扉」としての国際的なアイデンティティに誇りを持つ都市だ。私のようにドイツ人パートナーの縁で移り住んだ人、仕事で来た人、仕事を探しに来た人、親が移民としてやってきた人など、いろんな背景を持つ人がここに住んでいる。さまざまな国籍、文化背景、言語が混ざったコミュニティに身を置くのを私たちはとても居心地が良く感じた。
そしてハンブルグにまだ新しかった私たちに、周りのみんなは友人とつながる機会をどんどん作ってくれた。当時、私はドイツ語がほとんどできなかった。しかしそんなことは歯牙にもかけず、英語でいろいろ紹介してくれたドイツ人の友だちや、私と同様ほかの国から来た「外国人」としてハンブルグに住み、この街を第二、第三の故郷と呼ぶ友人たちの存在は心強かった。
ドイツ語には「gemütlich(ゲミュートリッヒ)」という、「心地良い・気持ち良い・良い雰囲気」などの意味でいろんな場面で使われる表現がある。
例えば、晴れた日に雰囲気が良いカフェで外に座って友たちと一緒に昼間からおいしいビールを楽しむ。自宅でのパーティーで、部屋にラウンジみたいにくつろげるスペースを作り、心地良い音楽を流しながら友だちと語らう。寒い冬の夜、温かい光の灯るクリスマスマーケットでみんなでホットワインを飲むーーそんなふうに、暮らしの中のいろんな「gemütlich」を共有できる友だちがいることが、私に「ハンブルグでよかった」と思わせる大きな理由だ。
日常会話で価値観を語る
ハンブルグの生活の中で感じるのは、ふだんから友人たちとも環境問題、国際事情、社会問題などのテーマについて突っ込んで話し合うことが多いということだ。
日本でいう「遠慮して言わない」という感覚はあまりなく、友人でも知らない人でも、ネガティブなことを含めはっきり言う。そして気になったことはとことん突っ込む。
例えば、外食のときには食材がどこからきたのかレストランのスタッフに聞いたり、買いもの中にはエコやナチュラルの謳い文句は具体的にどういう意味なのかと店員に聞いたり……。私には「ちょっとプレッシャーになるのでは……」と感じてしまうこともあるけれど、消費者として知る権利があるのだし、質問をきっかけに会話が広がるのを楽しんでいるところもあるのだと思う。
先日も近所の友人数人といっしょに食事に行ったとき、テーブルを囲みながらドキュメンタリー映画「The True Cost」の話になった。話は、ドイツでも広く知られているファストファッションブランドのことや関連する問題まで広がり、大いに盛り上がった。
こういう話が「あのドラマ観た?」「あのレストラン良かったよ」みたいな、気楽な話題とあまり変わらないノリで会話に出てくる。社会問題、ときには自分たちの消費や生活パターンを問題視するような話題も、積極的に話し合う。
広い視点から多様なトピックに興味を持ち、情報収集や意見交換に積極的な人が多いというのは、出身や文化背景が異なる人が集まった街ならではの強みの一つだと思う。
人それぞれ考え方は違うーーその前提で人付き合いができる街には、自分が親しんできた考えとは違う価値観があることを、ポジティブに受け入れられる環境があるという良さがある。
だからこそ、私が見つけたハンブルグは「無理なく自分らしくいられる場所」だった。
こうして私は、徐々にハンブルグの生活に慣れていった。地元の友だちとのつながりは、私がここに生活の「根」を下ろし、自分のコミュニティを作っていくのに一番重要な要素であった。
そして日用品の買いものから住民登録などの公的な手続き、そのほか日常生活のさまざまな要素にも、少しずつ慣れていくことができた。
次回は、しだいに親しむようになってきたハンブルグでの日常の中から、消費生活から見えてくるエコ意識やエシカルな生活などについて紹介したいと思う。
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