ハンドメイドを訪ねて鯖江まで〜「understatement new york」のメガネを輝かせる手仕事の現場

A Picture of $name HITOMI ITO 2015. 5. 28

ニューヨーク発のアイウェアブランド「understatement new york(アンダーステートメントニューヨーク)」。「目立たない部分にこそこだわることが最高のオシャレ」というコンセプトを実現すべく、上質なものづくりを求めた同ブランドのメガネは、福井県鯖江(さばえ)市のサン・オプチカル株式会社で、職人による手仕事で一つずつ作られています。

実際に鯖江まで訪ね、手仕事の技術と産地の実情について聞きました。

駅前はメガネがお出迎え。

駅前はメガネがお出迎え。

鯖江市は、メガネフレーム国内シェアの96%を誇る、100年以上続く一大メガネフレーム生産地。イタリア・中国と並び、その名を世界に響かせています。

ここで製造が始まったのは、明治38年(1905年)。豪雪に見舞われる冬の農閑期の副業として紹介され、地域の人々が技術を学んだことが始まりでした。

工程ごとに職人が競って腕を磨くことで分業独立が進み、徐々に市全体が産地へと変貌。また、たゆまぬ技術開発を重ねて1970年以降、チタン素材のフレームや形状記憶合金フレームなど世界でも新しい素材加工技術を開発し、その地位を確たるものにしました。

「understatement new york」のメガネフレームは、ここ鯖江にある1964年創業のサン・オプチカル株式会社で一つずつ職人の手仕事で作られています。

一人ひとりの矜持がクオリティになる

もともとのメガネフレームづくりは糸鋸(いとのこ)ややすりを使い、電動の機械を使わないオール・ハンドメイドで作られていました。いまでこそ機械化が進みましたが、一つずつ手で磨いては調整し、一つずつ目で確かめ……と、ほとんどが職人の手による細やかな作業によるもの。

近年は特に、ファッションとしてメガネが定着し、複雑なデザインのものが増えてきました。それを仕上げるにも、オール・ハンドメイドの時代から受け継がれた知恵、磨き抜かれた繊細な職人の感覚と、そして機械を操る経験が必要不可欠です。

その中でも特に「understatement new york」のメガネは難しかったと、サン・オプチカル株式会社の竹内也人専務取締役は振り返ります。

かなりデザインが凝っていて、他と比べても難しかったです。ものによってフロントの厚みが一部だけ違って削り合わせが難しかったり、ふだんはしない工程が必要だったり。手間もずいぶん掛かりました。

サンオプチカル株式会社・竹内也人専務取締役。若い世代ではいよいよ少なくなりつつあるオールハンドメイドでメガネを作ることができる職人でもある。

サン・オプチカル株式会社・竹内也人専務取締役。若い世代ではいよいよ少なくなりつつあるオールハンドメイドでメガネを作ることができる職人でもある。

「アイウェア業界に革命を起すようなブランドにしたい」と、強い思いでブランドを立ち上げた「understatement new york」のデザイナーも、同様に振り返ります。

デザインの特徴でもある独特なカーブや角出しも、当初は「この部分は難しいかもしれない」と言われました。でも何度もプロトタイプを作りながら試行錯誤を重ねてくださり、最終的には完璧に仕上げてくださいました。特に、シグネチャーカラーであるブラックのマット加工は、機械ではなく一つずつ職人さんの手磨きで、最もたいへんな作業の一つだったそうです。でもその質感の静かな迫力は、想像以上にすばらしいです。

デザイナーのこだわりに職人が矜持で応える。そんな気持ちのつながりは、消費者まで届いているかーー?

竹内専務は、「やっぱり買うなら安いほうが助かる。鯖江のメガネの違いを、自分たちが伝えきれていないのではないか」とも話します。それというのも、80年代以降増えた中国産の安価なメガネも、品質は大きくは変わらないと見ているからです。

鯖江では、人によっては「(中国製は)ちゃんと磨けてない!」と言う人もいますが、僕は、中国でも良い工場は良いものを仕上げていると思います。作業も機械化されている工程にも違いはないので、人件費の違いが価格に反映されているだけだと思います。

でも、些細な部分で違いが生まれるんです。研磨のとき、傷つけてはいけないところにちゃんとカバーを掛けているかで耐久性が変わりますし、最後にササっと磨くのと何度も丁寧に磨くのとでは、コストも輝きも全く異なります。

例えば、100〜150ある工程の中でもでき上がりを左右する、磨き工程の「泥バフ」。工程を進めながら逐一磨くことで、全体のかみ合わせを調整したり、フレーム生地の差異を徹底的になくしていき、ピカピカに輝かせます。

それでも、初回の検品に上ってきたメガネの中でOKできるものは1つもないそう。隈なくチェックしては磨き直しに戻し、3回目の検品でやっと半数がOKになる、という厳しさです。

廃業を選んでも仕方がない −−厳しいものづくり

ただでさえたいへんなものづくりに、メガネの低価格化が進み、海外生産が増えて厳しさを増す市場環境。そうして仕事が減ったり採算が合わなくなったりする中で、専門の小さい工場がどんどん廃業を決めているといいます。

実際、1992年をピークに生産量が落ち込み、出荷額は当時の1,208億円から526億700万円と半減。メガネ産業関連事業所数は約4割も減少しました[※平成20年、工業統計調査]

竹内専務は、実家であるサン・オプチカル株式会社に入社する以前は、新潟の織物工場などさまざまなものづくりの現場で働いたそうで、日本のものづくりの現状を次のように話します。

ものづくりは楽しいけど厳しい。どこへ行っても「値段下げて」って話になるんです。

すでに仕事欲しさに原価でやっているところもあると聞きます。目先の支払いに追われてしまい、自転車操業に陥ってしまうんです。弊社もぎりぎりのところでやっている状態で、「一つのミスが赤字」というくらいの気持ちで作っています。

「ものづくりの後継者がいない」といわれますが、仕事がどんどん減るので後継者を探したり育てたりせず、廃業を選ぶのも仕方ないと思うんです。メガネづくりは本当にたいへんで、僕自身、自分の子どもに事業を継がせたいかというと、正直、そうは思わないほどですから。

売る人・作る人、対等にものづくりできる関係を

それでも、「良いものを作ろう」という同じ姿勢を持つ相手と仕事できることが支えになると言います。

「understatement new york」とサン・オプチカル株式会社のお付き合いは2011年、1本の電話から始まりました。そこからニューヨークからデザイナーが同社を訪ね、その技術に惚れ込んだそう。デザイナーは、そのときの思いを次のように話します。

鯖江市役所を訪ね、手作業で丁寧に制作してくれる工場をいくつか紹介していただき、3社ほど見学に行きました。直接、ブランドのコンセプトを伝えたいと思いましたし、ニューヨークから鯖江の技術の高さを発信するためには、この目で見ておかなければいけないと思ったんです。

中でも同社の丹精な仕事ぶりに、信頼して仕事をお願いできる会社だと確信したというデザイナー。その後は、遠く海を超えてメールやスカイプを使ってやり取りを重ねたそう。

それでも「understatement new york」との協業はとてもスムーズだった、と竹内専務はいいます。それにはやはり、デザイナーが自ら工場に足を何度も運んでくれたことが一番だったとも。

実際に工場を見に来てくれるお客さんは少ないですよ。メールや電話のやり取りだけで済ませる発注元さんは多い。だから、対等な立場で話をするのが難しいことが多々あります。

例えば、「あと1日磨きに時間を掛けたらすごく良いものができますよ」と相談しても、「磨きってなんですか?」「納期は納期だから」と、言われてしまう。

「いっしょに良いもの作りましょうよ」って思うんですが、何も見ない・知らないまま、「こっちは客だ!」って態度の人は実際少なくありません。

最近は、「安くて良いもの」というのも当たり前になってきて、ものの付加価値を計るのが難しくなっています。

しかし、手間と時間を掛けたものは、ぜったいに安価には作れません。それが職人だけでなく、関わった全ての人がこだわりを追求したらなおさらーーそんな、シンプルなところに、普遍的な価値が生まれるように感じます。それは価格という部分以上に、実際に手に持ったときに感じる魅力となって表れるのではないでしょうか。そんな思いの連鎖を、受け取ってみませんか?

understatement new york

Website:http://understatementny.com/

サン・オプチカル株式会社

Website:http://www.sunoptical.co.jp/

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