「Phuhiep(フーヒップ)」のアトリエがある、ベトナムの古都フエ。華やかな都の顔の裏に、観光都市化政策によって本来の生業や暮らしを失ってしまった地元民の存在があります。その中に、かつて船上で暮らしていた人々がいました。彼らは強制的に移動させられ、陸上での定住を余儀なくされました。第2回は、そんな元・船上生活者の家庭出身の女性アーティザンの一人、ルンのお話です。
→前回のお話「Phuhiep の始まり、出会い。」
観光地フエの光と闇
ベトナム王朝最後の都としてかつて栄華を極め、現在でも王宮や帝廟といった歴史的建造物が多く残る世界遺産にも登録された、ベトナムの古都フエ。「Phuhiep」のアクセサリーを生み出すアトリエのある場所です。毎年、世界各地から多くの観光客が訪れています。
由緒ある名所旧跡が散在している華やかな都の趣を残す一方で、その観光都市化政策のために、本来の生業や暮らしを失ってしまった地元民がいることは、あまり知られていないのかもしれません。そういった中に、かつて船上で暮らしていた人々がいます。フエには、彼らが強制的に移動させられた定住地区が存在しています。
ルンという女性
現在アトリエで共に働く「Phuhiep」のアーティザン(職工・技工)に、ルンという女性がいます。アーティザンの中でも最古参の彼女は、トレーニーとしてアトリエに入ってくる後輩たちへの目配り気配りもよくできる人。人懐っこい笑顔が愛くるしく、ちょっと泣き虫ですが、困った人がいると放っておけない人情派です。また、みんながちょっと面倒だと思う作業を(率先して……というほどではありませんが、笑)引き受けてくれるのはいつもルンです。
彼女のアーティザンとしての技術には、安定した高度なものがあります。美しいものへの好奇心、探究心、女子力の高さも(!)、人一倍持ち備えています。そのルンの家庭も元は船上生活者で、彼女自身の生まれ育った境遇も、それはとても大変なものでした。
虐げられ、そして船上で暮らしていた
そもそも船上生活者とはどういった人たちだったのか。
フエの船上生活者の多くは、歴史的に、犯罪者、売春婦、貧困に陥った人たちなど、元いたコミュニティーを出なくてはならなかった人たちだったり、あるいはベトナム戦争時に南側について戦い、戦後不利な条件での生活を強いられていた人たちでした。
ルンの家庭も、元は船上で暮らしていました。数十年にわたる観光地化政策で船から陸に上がった後、政府の指定する船上生活者のための居住地区の借家を点々としていたといいます。いまは市内の中心地からバイクで40分ほど離れた、やはり元船上生活者のみが暮らす集合住居の小さな一室で、大家族で暮らしています。ルンのほかに、両親と兄弟姉妹が5人。家族7人の中で定職についているのは、ルンと同じく「Phuhiep」のアーティザンである姉一人だけです。
フエの女性は良妻賢母の古風タイプ
余談ですが、フエの女性は、実はお嫁さんにしたい出身地ナンバーワン(?!)との噂もあるほど、ベトナム国内の中でもとても人気があります。そのわけは、一言でいうと「古風」な女性像に所以があるようです。
かつて王宮のあったフエには、宮廷内で仕えた人々の子孫も暮らしています。一般家庭以上に礼節やしきたりを重んじた宮仕えだけに、一般の地元民にもそういった教えがそれほど特別ではなかったのかもしれません。保守的な文化をいまも根強く守っていると言われるフエの人々。目上の人を敬い、淑やかで、家庭的、そして働き者……そんなフエの女性のイメージがあるのかもしれません。
ルンもそんなフエ女性らしく、面倒見が良い心根の温かい19才。今年、そんな彼女の人生に転機が訪れることになります。
(次回に続く)