使うことの美しさとはなにか――文化としてのホームスパンを伝える 盛岡・蟻川工房

2014. 6. 17

「ホームスパン」という言葉を聞いたことはあるだろうか?

「ホームスパン」とは、「家庭で紡がれた」という意味で、「手紡ぎ・手織りの毛織物」のことを指す。その歴史はスコットランドから始まるといわれ、さらに元をたどると、スコットランドやアイルランドの農家で、羊毛を染めて手紡ぎした糸のことを「ホームスパン」と呼ぶ。

その糸を使用して織られた毛織物のことを「ツイード」と呼んだ。しかしいまでは、ツイード生地に使用される糸はほとんど機械で紡績されているので、「ホームスパン=ツイード」ではない。

イギリスで栄えたホームスパンの技術が日本に伝えられたのは、明治に入ってからといわれているが、当時は技術不足によってなかなか成長しなかったという。大正に入って第一次世界大戦以降、軍服需要に対してウールの輸入がままならなくなり、国をあげて羊の飼育・自家加工が推奨された。そこで全国で羊が飼われ、日本中でホームスパンが作られるようになり、日本のホームスパン産業が生まれたのである。

戦後の物資不足や工業化が進む中、ホームスパン産業は衰退の一途をたどるが、その中で岩手県は、ホームスパンの産地として現在も残っている。なぜ岩手県だったのかーーその明白な理由は分かっていない。しかし岩手県には、ホームスパンで名を馳せる企業がいくつもある。日本ホームスパン株式会社、みちのくあかね会、中村工房……今回紹介する蟻川工房もその1社である。

蟻川工房で実際にホームスパンに触れてみると、素材の良さだけでなく、ウールがたっぷりと空気を含んでふっくらしているのがはっきり分かる。フォルムも、使えば使うほど体になじみ、毛羽が取れてつやが出て、上質なカシミアのような手触りになる。それは糸紡ぎから織りまで全て手仕事だからこそ。まじめな手仕事でホームスパンを作る蟻川工房の思いを、現在工房を守る伊藤聖子さんに伺った。

使っていくうちにどんどん良くなるものを作ろう

蟻川工房の歴史も、岩手県のホームスパンの歴史とともにある。岩手県のホームスパン産業のカギとなる人物であり、民藝運動において有名な存在であった及川全三。その及川全三の下で、門弟第一号として学んだ福田ハレ子の息子・蟻川紘直ひろなおが設立した工房が蟻川工房だ。

蟻川先生も民藝の考えに基づき、ホームスパンづくりにあたって「着るということは使うということ。使っていくうちに生地が育って、どんどん良くなるものを作ろう」と考えておられました。いまだけ良いものではなく、何十年たっても、何世代にわたっても「いいよね」と感じて使えるもの。いまも、そういったものを作っています。

蟻川工房では、天然染料のみならず化学染料も用い、堅牢性を重視して染めている。ホームスパンは、先に羊毛を12〜24つの基本色で染めておき、それらを組み合わせていっしょに梳くことで色を生み出す。たとえば、赤色と黄色の毛をなじませ、全体的にオレンジにして紡ぐ、というぐあいである。それゆえ、単色で染められたものより奥深い色合いになる。赤系の色みのほか、いろんな色をミックスしたものが人気だという。

カーディングした後の手紡ぎ糸。繊細に色が組み合わさっている。(写真提供:蟻川工房)

カーディングした後の手紡ぎ糸。繊細に色が組み合わさっている。(写真提供:蟻川工房)

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