「ガングロギャルに会うよ!」
取材前。嬉しさのあまり会う人会う人に言っていたら、みなまず、驚きとともにこう返してきた。
「まだいるの?!」
1990年代後半から爆発的に“増殖”した「ガングロギャル」は、2000年代半ばには雲散霧消した。
くだんのガングロとは、ぇりもっこりちゃん(24)。「たぶん、ウチが最後のギャル」と話すのも嘘ではないだろう。
「(ギャルを)やりたいからやる」と言い切り、10年以上ガングロを貫くぇりもっこりちゃんは、ガングロとして以上に、ギャルの魂を受け継いだ最後のギャルかもしれない。
ギャルの魂とは? ぇりもっこりちゃんがいまも愛し、住み続ける地元・栃木県栃木市都賀町を訪ね、そのルーツを探った。
1990年代半ば、ファッションビル・渋谷109の店員のスタイルが脚光を浴び、ミニスカート、厚底ブーツ、ロングの茶髪(もしくは金髪)に、黒めの肌という「ギャル」スタイルが一気に広まった。
「ガングロ」とは、強調を意味する「ガン」に、「黒い」が合わさった言葉だったように記憶している。
「黒ければ黒いほどかわいい」と、日焼けサロン(以下、日サロ)でガンガン焼き、それに合わせてメイクもヘアもどんどん“強め”に進化したのが「ガングロ」だ(「ヤマンバギャル」はさらにその進化系)。
当時も世間の多くは、「なんだあれは」「あんなことして大丈夫か?」という目で、ガングロたちを眺めていたが、彼女たちはそんな視線を物ともせず、独自の道を邁進する、まさに“強め”な女の子たちだった。
しかし2000年代も半ばになり、時代が清楚の方向へ舵を切ると、“強め”だった彼女たちもギャルを卒業。黒から白へ。“強め”よりウケの良い“甘め”へ。「ギャル」の定義もどんどん変わり、いまに至る。
「この時代だからこそギャルをやる」と、言い切るぇりもっこりちゃん。中学校に入って以来のガングロ歴は、10年を数えた。
中学に入って、2つ上の先輩にガングロがいて、「かわいい! 私がなりたいのはコレだ!」って。めっちゃ衝撃でしたね。
小さい頃はどちらかと言えば、自己主張をしない子どもだったという。親が買ってきた服に、親に結わってもらった髪。やりたいことも特になく、むしろ友だちに言いたいことも言えないほうだったと振り返る。
中学に上がったのは、そろそろガングロブームも末期という頃ではあった。しかし革命的な出会いを経て、ぇりもっこりちゃんはまず、電車で小山市にある日サロに通い始めた。
肌黒くないと、そもそもギャルじゃないなって。髪の毛染めても、爪やっても、肌白いと、パギャル(※中途半端なギャル、の意)だしって。
ときには自転車で2時間くらいかけて通ったことも。
服は先輩や友だちにいらない服をもらったりしていましたね。そこで節約して、10分でも多く焼きたいって。
両親が当初、猛反対したのは想像に難くないだろう。人通りがある時間は家の近くを出歩くことは禁止され、服を捨てられたりはしょっちゅうだった。
それでも変わらず仲良くしてくれている友人たちの存在が、彼女を支え、強くしたのかもしれない。
だいたいみんなヤンキーっぽい格好してたんですけど、それはかわいいとは思えなくて。みんなビッグスクーター乗ったり、祭りのときはサラシ巻いたりしてるのに、ウチだけギャルで、謎な感じ(笑)。友だちは、ウチだけ違ってもみんな変わらず接してくれてました。いまでも仲良いです。
厳しい世間の目という逆風だけでない。ガングロをやるのは、そもそもかなりのコストがかかる。
聞けば、10cmはあろうデコレーションのネイルは1回25,000円。通常より強いブリーチ剤を使って仕上げるヘアは1回、30,000〜40,000円。日サロは最低でも1回20,000円かかるが、定期的に焼かないと黒さを維持できない。そのほか、カラコン、化粧品、服で20,000〜30,000円と、月にかかる基本の維持コストも“パない”(※ハンパじゃない、の意)。
しかも、どれも丸一日費やして仕上げる。
ふつうの人は、ヘア行っても長くてせいぜい3〜4時間だと思うんですけど、ガングロの場合、朝10時に行って、終わるのが夜の8時、9時。ネイルはネイルで1日かかります。ふつうの人が「美容デー!」って、エステ、ヘアサロン、ネイルに1日で行ったりしてますけど、絶対ムリ! もちろん、その日は仕事入れられません。
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