【連載】アーヤ藍の旅の『芽』【全6回】

“失われ”てしまうかもしれない…… だから「いま」を生きる 〜紛争前に訪れたシリア

A Picture of $name アーヤ藍 2017. 4. 14

大切なものは、ずっと変わらずに、そこにあるような気がしてしまう。

いや、心の奥底で、変わらずにあることを、無意識に願ってしまう。

でも現実には、簡単に壊れうる危うさのうえに、あらゆるものは乗っているのかもしれない……。

そんなふうに私が思い始めたのは、自分にとって大切な思い出の場所が、もう二度と元に戻らない場所になってしまったからです。

6年前の2011年3月、大学でアラビア語を学んでいた私は、研修で中東・シリアに1カ月滞在しました。

そもそもアラビア語を学び始めたのは、アメリカ同時多発テロ事件が起きた後、「果たしてイスラーム教徒はどんな人たちなのか」「みんながテロを起こすような危険な思想の持ち主ではないはずだ」という疑問と思いがあったためです。

初めて訪れるイスラーム教の国に、緊張や不安があったのもまた事実。ですが、そんな不安とは裏腹に、私がシリアで出会ったのは温もりで溢れた人たちでした。

まず、滞在していたアレッポ大学の敷地内には、屋台のような小さなお店があり、そこでできたてのアラブサンドイッチを買うことができます。1個100円もしないリーズナブルな値段ですが、おいしくて、滞在中に何度もお世話になりました。

到着した当初は、複数の種類がある中で、どれがどんな食材で作られているかパッと見ても分からず、片言のアラビア語とボディーランゲージで、質問と注文を繰り返してばかりでした。一つのサンドイッチを注文するのに何分もかかってしまうものの、お店のお兄さんたちは、いつも柔らかな笑顔で、嫌な顔をすることなく、辛抱強く相手をしてくれました。

サンドイッチ屋さんのお兄さんたち。

サンドイッチ屋さんのお兄さんたち。

私が滞在していたシリア第二の都市アレッポには、世界最大規模とも言われる古い市場(スーク)がありました。ここには、数え切れないくらいの思い出があります。

商売っ気があまり強くない人たちは、昼間から自分の店をほっぽり出して、一つのお店に集まり、みんなで優雅にアラブコーヒーを飲んでいます。そういうグループの近くを通ると、「やあ! コーヒーをどうだい?」と声をかけられるのです。

なにかを売りつけるためではありません。「せっかくここで出会ったのだから、話をしようよ」とでもいう具合で、ただ一緒にコーヒーを味わう仲間として招かれるのです。

同じスークで、撮影のプロジェクトを行う友人たちを立ちながら待っていたときのこと。目の前のお店のおじさんが、さっと立ち上がってやってきて、それまで自分が座っていた椅子を差し出してくれました。お店にはほかに椅子はなく、おじさんが立つことになります。それでも「疲れるだろう」と差し出してくれました。

右端のおじさんが椅子を貸してくれました。思い出に写真を撮ろうとしたら、お子さんたちも飛び入り参加!

右端のおじさんが椅子を貸してくれました。思い出に写真を撮ろうとしたら、お子さんたちも飛び入り参加!

あるスカーフ屋さんでは、なぜシリアに来たのかを尋ねられ、アラビア語を勉強していると話したところ、お店を息子さんに任せ、裏路地にある古いモスク(イスラーム教の寺院)まで案内してくれたこともあります。

ちょうど滞在中に日本で東北大震災が起きたのですが、道を歩いていたら、面識のないお店のおじさんが、「日本のために祈っているよ」と涙目で声をかけてくれたこともありました。

スカーフ屋さんのおじさんが連れて行ってくれた古いモスク。

スカーフ屋さんのおじさんが連れて行ってくれた古いモスク。

一つひとつは些細な出来事ではあるものの、小さな優しさにほっこりとし、胸に刻まれるような瞬間が、1カ月の滞在中に幾度となくありました。

人との出会いだけではありません。

シリアには世界遺産にも認定されるような歴史ある建造物がたくさん存在しています。その多くが、特別なものとして“隔離”されているのではなく、いまを生きる人たちの日常空間と溶け合っている感じがして、とても心地良く感じました。

特に、アレッポの中で一番大きなモスクは、毎日礼拝のために老若男女が集います。

真っ青な空の下、子どもたちが走り回っていたり、大人たちが日陰でゆったりと横たわっていたり……。その光景を見ていたときに、「あぁ。ここは“平和”という言葉がぴったりだな」としみじみ感じました。

人、街並み、食……さまざまな魅力に触れ、1カ月が終わる頃には、大好きな国の一つになったシリア。旅立ちの朝、部屋から見えた真っ赤な太陽を見つめながら、「絶対にまた来る」そう心で誓いました。

しかしほどなくして、民主化を求めるデモが激化し、内戦状態に……。

訪れたことのある場所が爆撃により崩れていく様子は、連日のようにニュースで流れ、SNSには現地にいる友人たちの悲惨な声が溢れました。

旅立ちの朝、眺めた太陽。

旅立ちの朝、眺めた太陽。

あれから6年、状況は悪化の一途を辿っています。昨今のニュース等で映し出されるシリアの街並みは「廃墟」そのものです。

仲が良かった友人たちは国外に逃れ、無事を確認できています。しかし、市場で出会ったようなささやかな思い出をくれた人たちは、いまどこでどうしているのか……ただただ無事を祈るしかありません。

大切な場所が二度と戻れない場所になることもある。
大好きな人たちと再び会うことが叶わないこともある。

逆にいえば、「いま」という時間は、当たり前に流れているわけではなく、あらゆる“分かれ道”を経たうえでの、奇跡のような一瞬と言えるのではないでしょうか。目の前にいる人との出会いも、一つひとつが、実はとても貴重な「縁」なのではないかと思います。

旅行をする「旅」も、人生という大きな「旅」も、かけがえのない巡り合わせを感じながら歩むことができたら、きっとより味わい深い旅路になるはずだと思っています。

アーヤ愛の「旅の芽」は、今回で最終回です。これまでご愛読いただきましてありがとうございました。

この記事のキーワード

Keywords

Sponsored Link
この連載のほかの記事

Backnumber

ほかにも連載

Find More Series