両足義足で活動するアーティスト・片山真理さん。両足とも脛骨欠損という主幹を成す太い骨がない病気を持って生まれ、9歳のときに両足を切断しました。以来、その自分だけの身体を介した世界との関わりを、作品にし続けています。
2016年、森美術館開館以来、3年に1度、日本のアートシーンを総覧する展覧会「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」出展を経て、年末には妊娠を発表した真理さん。その間は、さまざまな出来事が重なり、「手」についての作品を3つ発表しました。2本指の左手を持つ彼女が考えたこと、それを促した出会いとは? 出産を控えてのロング・インタビューを行いました。
子どもを授かって
そうした再認識や試みをしたタイミングで、我が子を授かったことは、偶然と呼ぶべきか、必然と呼ぶべきか、どちらでしょうか。
直島での発表が終わった2016年秋に妊娠が発覚し、体がみるみる変わっていく中、私はひどいつわりに悩まされていました。
つわりとは、異物に対する防衛反応でもあると、聞いたことがあります。自分の中に突如現れた異物。最初はその変化をどう受け入れればよいのか、戸惑うばかりでした。しかしふと、「これは『bystander』でやったことと同じだな」と、気づいたときから、少しずつつわりも落ち着いて、体の変化、来るべき変化への順応ができてきたように思います。
そうして怒涛の制作の日々が終わって、子どもを授かり、故郷である群馬に帰って作ったのが、『on the way home』でした。
制作も一段落し、しばらくは出産に向けて落ち着こうと思っていたので、とにかく「帰ってきた!」という感がありました。「群馬青年ビエンナーレ(2005)」に始まった私のアーティストとしての活動が、巡り巡って群馬に再び帰ってくることで、一段落したような気持ちです。
もし、本当に一人きりで自分だけしかいない世界で、ただ気持ちと手の赴くままにお裁縫をしていたら、きっと自分と他者との違いには気づかないでしょう。
しかし22歳で群馬から飛び出し、いろんな人と接触したり関わり合ったりして得てきたものがあり、それらを理解し吸収するために、次々作品が生まれました。
あの小さかった子どもの手は、たくさんの人との関わりの中でいろんなものを受け取りながら大きくなっていったこと。そうして、ますます手を伸ばせるようになったこと。大きく手を広げられるようになっていったこと。多くのものを抱きしめられるようになったこと。
――ずっとそうやって生きてきたんだな、というのを表現したいと思ったとき、『Living well is the best revenge』というインスタレーションのイメージが思い浮かびました。私が重ねた日々の繰り返しを、白いヌードクッションに重ね、直島で制作した“これまで作った全てオブジェの生まれる種”のような作品を、天井から吊り下げています。
写真作品『on the way home』では、手を連れて懐かしい道や川沿いを回りました。
回ったのは、全て私が昔歩いた道。「田舎から上京するときに使う道」だったり、「大学に行くときの道」だったり。全て、どこかへ通じていた道を、凱旋するように辿り直しました。
しかしきっと、「全く同じ場所」に帰ってきたわけではないし、戻ってきた私も変わっている。妊娠という大きな変化も遂げています。そして、再びこの場所から出発するときに、あの当時と同じところに向かっていくわけではない。そんな群馬で出産する自分が、「生まれた川に戻って産卵する鮭」のように感じ、川でも撮影しました。
川は「なにかを運ぶ場所」。次の制作のテーマも込められています。常に、“to be continued”でいたい。次は、新しい命の小さな手を携えて歩くのでしょう。彼女の手に、私の手が与えられるものはなんだろうか? と、最近は考えています。
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