両足義足で活動するアーティスト・片山真理さん。両足とも脛骨欠損という主幹を成す太い骨がない病気を持って生まれ、9歳のときに両足を切断しました。以来、その自分だけの身体を介した世界との関わりを、作品にし続けています。
2016年、森美術館開館以来、3年に1度、日本のアートシーンを総覧する展覧会「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」出展を経て、年末には妊娠を発表した真理さん。その間は、さまざまな出来事が重なり、「手」についての作品を3つ発表しました。2本指の左手を持つ彼女が考えたこと、それを促した出会いとは? 出産を控えてのロング・インタビューを行いました。
傍観者
さて、時代や環境の変化という「あるがままの現実」を抱きしめ、受け入れながら、ただひたすら手を動かして生きていく。そんな、直島で女文楽を始めた女性たちと自分を重ねたとき、「直島の人々の“手を借りて”オブジェを作ろう」と、思いました。
目まぐるしく変わる環境や時代の変化に対して、あえてものを言わず、受け入れ、どうこうするでもなく別の
そこで、直島の人たちの手を写真に撮って模り、オブジェのモチーフにしてみたのです。いままでずっと、自分の手のみを動かして作ってきたオブジェですが、初めて「他者」の手を素材として取り込みました。
すると、できあがったものは、異質としかいえないもの。それはタコのような「モンスター」としかいいようのないものでした。
「モンスター」を構成するものは、貝や綿、ビーズ、髪の毛など、ほかの私のオブジェと変わらないのに、私のうちから自然には出てくるはずのないものが生まれてしまった。まるで、見知らぬ誰かが勝手に私の中に入ってきて、私にこれを作らせたかのようで、恐怖すら感じるほどでした。
当初は、ただただ理解不能な「モンスター」に驚くだけでしたが、プロジェクトを仕上げるにあたって、直島と群馬を何度も往復する中で、私は徐々にその「モンスター」と対話するようになりました。直島で写真を撮り、群馬で「モンスター」を作る。その「モンスター」を携えて直島に戻り、撮影をする。そしてまた群馬に戻り、編集する。この一連のプロセスの中で、最終的にはそのタコを理解し、「共生」することができました。
それはつまり、私たちが他者と生きる
他者だけではない、社会や環境の中に暮らす「人」。環境の変化でも身体障害でも、「すでにそこにある現実」に対し、人は順応せざるを得ません。ガンジーやマザーテレサになれる人はなかなかいない。「すでにそこにある現実」を抱きしめ、受け入れ、ただ傍観することが必要なときもある。
そうやって傍観する人の体全体が、手なのだな、と、またさらに“手”について理解を深めることができました。
図らずも、今回初めて他者の手を借りてメッセージを込めたものになったのは、新しい試みになりました。いままで私の制作というのは、個人的な体験に端を発するものでしたが、自負の範疇であったとしても、広くみなに共通するメッセージを込めていました。
しかし、他者の手を借りてみると、いままで以上に伝えやすい手応えがありました。他者を取り込むだけでなく、実際に他者の手を借りてみること。他者の手から受け取ってみること。自分以外の誰かと生きるとは、ただ暗黙のうちに影響を与え合うだけではないのですね。
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