この連載は、「くま美術店」の代表取締役玩具COG・くまが「アートをやめた人」の話を聞いて、謎の多いアート業界を裏側から掘り起こしていく企画です。
今回話を聞くのは、素晴らしい技術を持ちながらも、卒業後ぱったりと作品づくりをやめたという某Mさん。技術という才能があるのにやめちゃうなんてもったいない! というのが、多くの方が抱く心情ではないでしょうか。でも、Mさんは「技術は才能ではない」と言い切ります。
現在は子育てをしながら、某有名クリエイティブ系企業で働いているそうですが、Mさんがアートの道には進まなかった理由とは?
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Mさん
素晴らしい技術を持って、某・超有名美大に入学。卒業後は企業でデザイナーとして務めるも、結婚を機に2年で退社。一児を授かる。現在は子育てを中心に、デザイナーとして某デザイン会社にアルバイトとして勤務中。
藝大・油画科の入試試験は、日本で最も難しい大学入試試験ともいわれていて、真偽はともかく、東大に入るより難しいなんていわれることもあります。
その理由の一つが、競争倍率の高さ。
定員が55名と非常に少ない枠に、1,000人を超える応募があり、この少子化のご時世でも20倍近い倍率があります(*1)。
試験内容はセンター試験と実技試験の2つ。実技試験は、前期日程のみの一発勝負です。
通常、1次試験として鉛筆で絵を描く「デッサン」と、油絵具で描く2次試験があります。
この1次試験が、難関である理由の2つ目。ここで、ほとんどの受験生がバッサバッサとふるい落とされます。
何年間にもわたり受験予備校に通い続け、浪人を重ね続けても、1度も1次試験を突破できない人たちも数多くいます。この1次に通るのは、本当に力がないと難しいんです……。
その頃の絵とかありますか?
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藝大の入試課題の素描では、与えられたテーマや対象から発想したイメージを描きます。
ここでは、形の正確さよりも、表現力の幅と、なにを感じ取ったかという発想力が試されますが、まず鉛筆しか使っていないのに、色数が半端じゃないほど多いですね。
これは、相当な技術がないとできませんよ。
また、発想力も見られる試験に対して、奇をてらわず、すごくストレートな切り口で描いたのですね。
技術をちゃんと生かしながら、Mさんの持つ繊細さと、どろっとした感情の両方全部出ていて、技術力と人間性がきっちり表現されてる。
Mさん、相当努力したんじゃないですか???
じゃあ、高校以前になにかやってたとか?
ずっとふつうの子どもで、ふつうに過ごしていました。実は、大学も美大ではないところに推薦がほぼほぼ決まっていたんです。
私、それまでずっと、エスカレーターに乗っているような人生だったんです。別にそれでもいいかなって思っていたし。
だけど推薦取り消しで、突然そのエスカレーターが止まってしまって、そのとき初めて「自分はなにがしたいんだろう?」ということを考えました。
そしたら、絵を描くのはずっと好きだったし、美大という道があると知って、「行ってみようかな」と、予備校に通いはじめました。
あれがなければ、ふつうの大学を出て、堅実に銀行や役所とかで働いていたかも。
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ちゃんと載せられないのが残念ですが、淡い色づかいで、柔らかい光が差しているような雰囲気がぐっとくる。
発色もすごいキレイで、これは絵具を扱う技術がむちゃくちゃ高くないとできない色づかい……。
描かれている子どもや木のモチーフも、フワッと描かれているのにプロポーションはばっちり決まっているのは、相当なデッサン力がないとできない。
くまさん、アーティストになるうえで必要な才能ってなんだと思います?
でもその人たちが、飛び抜けた評価を受けてばかりいられるわけでもないし、才能あるかといえば必ずしもそうではない。偶然やタイミングだってある。それでも、悩みながらも続けている人たちのことは、心から尊敬していますし、そういう人には絶対に敵わない。なので、続けられない人は評価されなくて当然だし、続けている人は、必ずどこかで評価されるって思うんです。
高い倍率を勝ち抜いて美大に入っても、アートの世界でご飯を食べていけるようになる人は数年に一人出るかどうかだって聞いて、「そんなの無理じゃね?」って思ったんです。
作るのは好きでしたけど、それほどの情熱は持てなかった。
だから、自分の絵を売ってご飯を食べていくなんて、考えられませんでした。
描くことを続けられる人って、ただ作業が好きなわけではなくて、自分の描きたいもの、表現したいものがなんなのかきちんと理解している人だと思うんです。
描きたいものも分からずに、技術ばかり身につけてもどうしようもない。
だから、いまでも描き続けている人を心から尊敬しているし、応援したいって思います。
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例えば、「ゾウを描いて」って言われても、鼻とか耳とか特徴的なものは描かずに、子どもと同じような感じでペンを紙の上で往復させて、グチャグチャっとしたものを描きます。
だから、単に「正解」を描いて終わるのではなくて、そこからいろいろ発展をしていけるようにって。
なにを見ても新鮮で、先入観のない頭で考えられる子どもの頃に、1枚の絵からできるだけたくさんのことを発見できるようになるって、その後の人生での考え方に良い影響しかない気がする。
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Mさんのお子さんが描いた「自分の住むマンション」の絵。 俯瞰で見た図、真正面から見た図、そして自分が実際に歩いて見た中の様子が、全部この1枚に描かれており、まさにキュビズム! 実は、デッサン力や理論を身につけていく中で、こういった絵を描くのが難しくなってしまう人も多い。一方向からの見方をきちんと描こうとするあまり、子どものように自由に、本当に感動したものを1枚に詰め込んでいく素直さが失われてしまうのだ。 だからこそ、その素直さを大人になっても失わなかったピカソがすごいのである。
Mさんにとっての「アートのやめどき」は、やっぱり大学でしたか?
一般大学の推薦がなくなったからと、なんとなく美大に進んで……だから正確に言うと、アートを始めてもいない。
いまでも「自分が表現したいもの」がなんなのか分かりません。表現したいものや、どうしても作り出したいなにかがないと、アートは作れないと思うんです。私にはそれがないんですよ。
いま、会社でデザインの仕事をやらせてもらっているんですが、誰かが私のデザインで楽しんでくれたりしているのを聞くと、すごく嬉しいんです。人から必要とされることはとっても嬉しい。
『ハチクロ(ハチミツとクローバー、羽海野チカ)』ばりに、毎日キラキラしていましたもん!
毎日全力で友だちと遊んで、最高の時間でした。
だからいま、仕事にやりがいを見つけて楽しさを感じているんだと思うし、すごくすばらしい生き方だなって思います。
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