「突然街中に出現する本屋・劃桜堂」の大野がお届けする、すこぶるいいかげんな本の紹介。
いつの間にか、日常に「本」が忍び込んでくる……。
最近の若者は恋愛をしないといわれている。
彼らは口をそろえて「出会いがないから……」と言う。
また、最近の若者は本を読まないと言われている。
理由は、本との「出会いがないから」である。
一方、女子高生は口に食パンをくわえて「遅刻、遅刻ぅ〜!!」と叫びながら曲がり角で男性とぶつかる。
これには特に理由はない。女子高生とはそういうものである。
運命的な出会いをしたら若者は恋に落ちるのだろうか?
運命的な出会いをしたら若者は本を読むのだろうか?
この2つの問題を解決するためには、「遅刻、遅刻ぅ〜」と叫んでいる女子高生が本をくわえれば良いのだ、と合理的かつ論理的に結論を導き出した。
そういうわけで「遅刻、遅刻ぅ〜!!」と叫んでいる女子高生が口にくわえてそうな本を紹介する。
服従
ミシェル ウエルベック(著)、佐藤優(その他)、大塚桃(翻訳)、河出書房新社、2015年09月
若者は恋愛をするのだろうか? 若者は本を読むのだろうか?
……と書いたが、若者にとって重要なのは恋愛をすることだろうか? 本を読むことだろうか?
それはもちろん、本を読むことである(連載9回目にして初めて本屋さんっぽいことを言いました)。
曲がり角で「遅刻、遅刻ぅ〜」と叫ぶ女子高生とぶつかると間違いなく恋に落ちる。
しかし、若者は恋に落ちてる場合ではないのだ。
本を読まねばならない。
そうするためには、フラグをへし折るインパクトが必要である。
そう、『服従』である。
ぶつかった男性は女子高生に恋愛対象と見られているのか、主従関係の対象として見られているのか確認するために本書を手に取る。
そこに書いてあるのはフランスにおいてイスラム教徒の大統領が誕生するという物語である。
主人公の大学職員は職を失い、イスラム教に改宗すれば大学に復帰でき、さらに3人の妻を娶ることができると言われるのだが ……このようは興味深い世界を垣間見えるのである。
女性よりも書籍に服従してもいいかもしれない。
堂々と逃げる技術
中島 輝(著)、 学研プラス、2016年12月
どんなに奇怪なことでも、堂々としていればたいていうまくいく。
堂々と寝坊する。
堂々とお財布を忘れる。
(JR東日本のみなさま、つくばエクスプレスのみなさま、その節は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます〈24歳 男性:ペンネーム財布ないおうどう〉)
堂々と本屋をする、などである。
中でも「逃げる」ということはたいへん難しい。なぜか。これは「素人が株で儲けるのが難しい」と同じ構造をしている。
逃げるとは生存上必ず必要な技術にも関わらず、そのノウハウが体系的にまとまっておらず、一部の特権階級によって独占されてきた。
本書では「堂々と」逃げるための技術が紹介されている。逃げ道を作る方法も記載されてあり、初心者にももってこいである。
曲がり角でぶつかった女子高生が堂々と逃げていったら……。
伏線を一切回収しないその勇ましい姿勢に、本書を読まずにはいられないだろう。
人生を危険にさらせ!
須藤 凜々花・堀内 進之介(著)、幻冬舎、2016年03月
世の中から危険なことが減ってきた。
喜ばしい自体でもあるかもしれないが、同時に嘆かわしいことかもしれない。
私は若い頃に用水路の溝に落ちたことや田んぼに落ちたことや、橋の上から川に落ちたことがある(注意力のなさが原因である)。
しかし近年では溝には蓋がされ、海外から安いお米が輸入され、橋には柵が立つようになった。
……なんとなくまずい気がする。
なにもしなくても、先人たちの偉大な努力によって築き上げられたレールの上に乗っかれば、特になんの心配もなく無難な人生を送ることができる。これはまずい。
危険なものにはどうやって出会えばよいのだろう。簡単である。本屋にゆけばよい。
本とは大変危険な代物である。
あなたの常識や価値観を壊すことなんて朝飯前、気づいたら財布の中の現金は、全て本に消える。
本書は、哲学者ニーチェの言葉「人生を危険にさらせ」を題しているが、内容は哲学者を目指すアイドルと哲学研究者による対談である。
「上手くいきることは大事だが、善く生きることはもっと大事である。」
哲学とは必ずしも人生を善い方向に導くものではない。本もまた同様である。
危険を求めて曲がり角でぶつかろうとしているそこのあなた、もっと危険な世界に足を踏み入れてはいかがだろうか。
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