【連載】アートのやめどき

Artrigger・堺谷円香のアートのやめどき

A Picture of $name 荒木了平 / くま美術店 null Ryohei Araki 2017. 1. 28

この連載は、「くま美術店」の代表取締役玩具COG・くまが「アートをやめた人」の話を聞いて、謎の多いアート業界を裏側から掘り起こしていく企画です。

今回お話を伺うのは、株式会社Artriggerの女性社長・堺谷円香さん。高校から美術科・美大と進学したものの作品づくりはやめ、ビジネスの道を邁進する26歳です。

今回お話を聞く人……

堺谷円香(さかいたに・まどか)さん
Artrigger Inc. CEO
1990年生まれ。兵庫県神戸市出身。女子美術大学短期大学部造形学科空間インターフェース卒業。2011年渡伊。2013年に帰国後、アパレルECを個人でスタート。アート業界のエコシステム構築のため、SaaS開発に注力。2015年株式会社Artrigger設立。今春にサービスをローンチする。
instagram: @i_am_madoca

くま
本日のゲストは、株式会社Artrigger代表・堺谷円香さん。若干26歳の麗しき女性社長です。どうぞ!
堺谷さん
よろしくお願いいたします。
くま
堺谷さんは、いまは受託として広告企業とアーティストのマッチングビジネスや委託販売等をやっておられますが、もともとはアートをされていたと。具体的に、どんなアートをされていたんですか?
堺谷さん
美大では空間デザインを学んでいて、こういう作品を作ってました。

(左)「女性本来の美しさ」をコンセプトに制作したウィンドウデザインコンペ作品「SHISEIDO」〈2010年〉、(右)シェアハウス俯瞰図「学生のためのシェアハウス1F」〈2010年〉

くま
ほー!
堺谷さん
高校も熊本県の美術科の学校だったんですけど、そのときはこういう作品を作っていました。

第70回銀光展桂昌堂賞「静物」〈2008年〉

くま
高校から美術畑だった生粋の「アートの人」が、いまは社長さんとしてビジネスをしている。「アートづくり」を辞めたきっかけがますます気になるなぁ! そもそも、高校で美術科を選択するのが珍しい気がする。なんで美術科を選んだんですか?
堺谷さん
子どもの頃から歌が好きで、特に「舞台」に憧れていたんです。
中学2年のとき、担任の先生が美術の先生だったんですけど、そのことを先生に相談したら、「舞台美術っていう世界もあるし、美術科のある高校はどう?」と勧められたんです。
くま
美術科のある高校は各県およそ2校はあるみたいだけど、美大に進学する人の中でも、高校までは普通科という人がほとんど。高校の美術科は、どんな感じなの?
堺谷さん
午前中までは一般教養の普通の高校の授業で、午後からは美術だけの授業でした。美術史やデザイン史、色彩学などの専門授業のほか、「公募展」に出品する作品を作ることも多かったです。
くま
公募展というと、テーマや作品のジャンルなどが決まっていて、出品作品を審査員が見て、優秀作品とかを決めるものだね。
堺谷さん
そうです。
グランプリを取ると、美術館などで展示をさせてもらえたりします。中には賞金が出るものもあって、同じクラスには40万円ぐらい公募展で稼いでいる人もいました。
くま
へー! あんなにすてきな作品を作っているんだから、堺谷さんもさぞ優秀な成績だったんじゃない?
堺谷さん
いや、それが……。私は全く評価されなかったんですよ。
美術科でも、アートより音楽ばかりやっている人もいたんですが、そういう人の作品のほうがバンバン賞を獲ったりしていました。
くま
そうか……。でも確かに、視野が広い人の作品は、おもしろいものがあるよね。高校生からいろいろなことを体験して、加えて若いエネルギーに溢れた作品なら、分かるかも。
堺谷さん
いま思えばそうですね。でも当時は、挫折感ばかりでした。

くま
そういった美術科のみなさんは、やっぱりみんな美大に行くの?
堺谷さん
そんなことないですよ。ふつうの大学の教育学部とかに進む人も多かったです。
くま
堺谷さんはその中で美術街道を突き進むわけですが、大学はどうやって選んだの?
堺谷さん
やっぱり、「舞台美術」をきちんと学んでみたいと思ってたら、女子美術大学短期大学部の推薦を見つけたんです。その大学には橋本夕紀夫先生という方がいて、その先生の手がける空間デザインがすごく好きだったので、そこ一本で受験しました。
くま
それもけっこう珍しい。美大受験は複数の大学を受ける人が多いのに、堺谷さんは絞ったんだ。
堺谷さん
そうなんです。失礼な発言なのですが、「大学」というものに期待を持てていなかったんです。
美大に入ったからといって、すごいアーティストやデザイナーになれるパスポートをもらえるわけではない。大学が、そのためになにかをしてくれるわけではないって思っていたので……。
くま
若いのに達観してたんだなぁ……。
堺谷さん
スレていたんだと思います(笑)。
高校のときから公募展に出し続ける中で、審査員と呼ばれる一部の少数の人たちの考えで作品の優劣を決められることに、どこか疑問を感じていたんです。
審査員を務めるような方々は、それまで世間に認められる作品を作ってきた、素晴らしい方々なんですけどね。

くま
そんな思いで大学に入るわけですが、大学はどうでしたか?
堺谷さん
「つちのこ」でした(笑)! ゼミは橋本先生のところに入ったんですけど、あとはぜんぜん学校にいませんでした。
くま
学校の外で、なにしていたの?
堺谷さん
入学してすぐにデザイン事務所でアルバイトを始めて、あとギャラリーや美術館を週に5つ行くって決めていたので、ずっと外に出ていました。いままで見られなかった作品を見て、技術をとにかく吸収しようと思ったんです。
くま
なるほど。見るのがイチバンだもんね。幅広い作品を見て、デザインやアートの基礎を学び直す感じというか。
堺谷さん
そうなんです。そうして卒業する年の3月に起こった東日本大震災が、自分の中で一つの転機だったかもしれません。そのときはちょうど、大学の卒業制作の最終準備をしていました。
くま
卒業制作! 美大生にとって、最後にして最大の行事。就活も、将来もかなぐり捨てて、大学最後の半年を、この作品のためだけに準備していく卒業制作……!
堺谷さん
私は照明を制作して奨励賞をいただいたのですが、地震で展示じたいはうやむやになってしまい、消化不良のまま卒業となってしまいました。

女子美術大学奨励賞を受賞した照明作品「HIDDEN&APPEAR」〈2011年〉

くま
ホントに全てをかなぐり捨てて作るもんね……。
堺谷さん
それだけでなく、私にとってあの地震は、価値観が揺らぐような出来事でした。世界が一瞬にして変わって、見えていた世界が違って見えるというか……。いままで自分と向き合って、自分のために作品を作ってきたけど、これでいいのかなって思うようになりました。
くま
自らの内側に追求することから、価値観が変わっていったんだね。そんな体験を経て、卒業後はどうしたの?
堺谷さん
在学中からイタリアに行きたいなって思っていたので、本格的に準備を始めることにしました。ミラノに行こうと思って。
くま
ミラノはプロダクト・デザインに始まり、空間デザインはもちろん、あらゆるデザインのメッカだよね。ミラノでの評価が、最も重要になるもの。
堺谷さん
それもありますけど、イギリスやアメリカは学費が高すぎて(笑)。
うちはそこまで裕福ではないので、留学費用は全て自分で稼がなくてはならず、とても行けませんでした。それでとにかくアルバイトをやってました。
くま
アルバイトで留学費用を? それは大変だ……。
堺谷さん
朝から深夜まで休みなく働いて、半年間で300万円を貯めました。
くま
だいたい1カ月に50万円! すごすぎる……。
堺谷さん
頑張りました! そのお金を元手に、自分でビザを取る手続きなどもして、まずはミラノの語学学校に通うことにしました。

くま
行くまでの苦労もハンパないですが、やっぱりイタリア生活もたいへんだった?
堺谷さん
そもそも言葉も全くできませんし、いろいろありましたよ〜! キャッシュカードのスキミング詐欺に遭って、預金残高がいっきに6,000円になってしまったことも……!
くま
え?!
堺谷さん
渡伊して1年くらいの頃だったんですけど、すっからかんになっちゃって。
そのときは、人から借りたりアルバイトだったりで、なんとかなりましたが、さすがに「強制帰国?!」って、真っ青になりました。
くま
それでも、なんとか自力で乗り越えられるのがすごい……。語学学校に通った後は、イタリアの美大を受験されたんですか?
堺谷さん
したんですけど、落ちてしまいました。物理や数学もイタリア語で受けなければいけなくて、一般教養はほとんど勉強していないので撃沈しました。
そうして語学学校も終わってビザも切れ、帰国しました。

でもすぐにイタリアに戻ろうと思ってたので、再びお金を貯めはじめました。

くま
半年で300万貯めたんだから、今度も早く貯められたんじゃない?
堺谷さん
それが、今度はお金も思うように貯まらなくて。そういう現実的な限界もありましたけど、美大に行きたいという気持ちも、ちょっと変わってきていたんです。イタリアには行きたいけど、美大でなくてもいいのかなって。
くま
あらら、なんで気持ちが変わっちゃったんだろう?
堺谷さん
イタリアで日本人ジャーナリストの方の事務所でバイトしてたんですけど、私の仕事は、いわゆる日本からのお客さまのアテンドでした。お食事の場所に案内したりタクシーを呼んだり、デザインの解説をするだけだったんですけど、なぜか震えるほど喜んでくださるんです。「こんな些細なことでも喜んでもらえるんだ」ってびっくりして。
誰かに喜んでもらうために、「作品を作る」以外にも道があるんだなって、初めて気づいた体験でした。それがなんとなくあるのかもしれません。
くま
確かに、高校生のときからずっと「作品を作る」ことばかりだったもんね。
堺谷さん
それでもイタリアには行きたかったので、イタリアに行けるような事業を立ち上げることにしたんです。

ちょうど世の中はベンチャービジネスがブームで、助成金なども比較的ハードルが低い環堺だったので、まずは助成金に申し込みをしてみようと。そのときは、イタリアのアパレル製品の卸業をやろうと思いました。

くま
ほうほう。
堺谷さん
でも、いざ申請書に事業内容を書く段になると、ぜんぜん書けないんです。
アパレルは嫌いではなかったけれど、狂おしいほど好き! でもなかったので。
ならばと、試しにアートに関連する内容で申請書を書いてみたら、自分でも驚くぐらいスルスルと筆が進むんです。
くま
やっぱり、アートになっちゃうんだなぁ。それが、いまやっている事業?
堺谷さん
いえいえ。大きな転機ではありましたが、当時申請書に書いたことと、いまやっていることは全く違います。
くま
じゃあ、いまは具体的にどんなことをしてるの?
堺谷さん
簡単に言うと、アートの世界に売買の共通システムを入れて透明化できるようにしたいと思っています。
いわゆる「SaaS(Software as a Service)」で、購入者・アーティスト両者の情報を管理しながら、新しいサービスを作っていくための事業を進めています。
美術の世界は、情報の不均衡が起こりやすく、興味がある人がいても的確なマーケットの情報が届きにくいという側面があるので、根底から変えていきたい。システムを導入することで、売買のエコシステムが回っていくという仮説の下やっています。
アートギャラリーも小規模のところが多く、高額なシステムなどが必要でも設備投資できないということもあるので、フリーで使用できるシステムがあれば、多くの人にとってアートがもっと開けたものになるかと思っています。
くま
あのぉ……。
堺谷さん
はい?
くま
喋り方がぜんぜん違う……。
堺谷さん
え?
くま
いままでの、自分の人生を話しているときには、若い女性らしい、柔らかい喋り方をしていたのに、ビジネスの話になったら、急にハキハキと喋りだした。
表情もぜんぜん違うし……。
堺谷さん
そうですか? 自分じゃよく分からないです(笑)。
でも、ときどきそうおっしゃる方はいるんですよ。そんなに違うかなぁ……。

くま
でもゴメンナサイ……。堺谷さんの豹変っぷりに呆気にとられちゃって、肝心の事業内容がよく分からなかった……。
堺谷さん
あはは! つまりアート作品の売買支援ソフトを開発してるんです。
くま
なるほど! 流通を加速させるイメージだ。
堺谷さん
そうですね。「ART」の「TRIGGER(引き金)」になる、という意味を社名に込めています。
くま
しかし、堺谷さんは目標があるとそこに向かって頑張れるタイプなんだね。しかもその目標は「人のためになること」。
堺谷さん
そうなのかな……。
でも、挫折だらけでボコボコの人生でしたが、やっぱりアートが好きですし、そこに関わって生きていきたいと思っています。
くま
アート漬けだった日々から少しずつ心の視野が広まる中で、徐々に「アートのやめどき」を迎えたんだと思うんですが、再び自分の手で作品を作りたい気持ちはありますか?
堺谷さん
制作したい欲求よりは、いまはビジネスを育てたいという欲求のほうが大きいです。

ただ、周りのアーティストやデザイナーの方々などを見ていると、自分の手で直接クリエイティブを制作できることが羨ましく思うときもあります。

くま
これから堺谷さんが作り上げる「ビジネス」もやっぱり、一つの作品。すごく楽しみです。今日はありがとうございました。

次回は、ドキドキ! 美術大学油絵学科卒のカノジョと匿名トークで、業界の裏側を書きます!!!

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