まるきり新鮮なアジアンデザイン 「Enlee.」の服が生まれる“文化と文化が交わるところ”

2017. 1. 10

更紗にバティック(ろうけつ染め)、色鮮やかな刺繍にブロックプリント……アジアの伝統技術はいずれも美しいものばかり。しかし、それを現代のライフスタイルに沿うデザインに落とし込むのはなかなか難しいのが正直なところではないでしょうか。

アジアの独特で鮮やかな色使いに、随所に繊細な伝統的技法を取り入れた「Enlee.(エンリー)」のアイテム。アジアの伝統技術の、フェミニンでエレガントなエッセンスをぎゅっと詰め込んだデザインがどこか新しい。


2016AWコレクションより(提供:Enlee.)



デザイナー・EN LEE(エンリー)さんのセンスはどこからくるものなのか。多様な文化に育ってきた彼女ならではの「ミックスカルチャー」がそのヒミツかもしれません。

エンリー
ファッションデザインを中心に、テキスタイルデザイン、イラストレーション、CGデザインと幅広く活動。ニューヨーク、東京、上海にてデザイナーを経て、2014年AWコレクションで自身のブランド「Enlee.」をスタート。

―― まずはあなたのバックグラウンドについて教えてください。

神戸の生まれ。父も母も華僑(※中国本土から海外に移住した中国人およびその子孫)で、私は華僑の4世です。4人姉弟の末っ子で、神戸の中華学校、クリスチャンの女子校と通った後、アメリカの美大に進学しました。卒業後は、アメリカや中国など、多数の国でデザイナーとして仕事をしていました。

――「Enlee.」のアイテムは、アジアのエッセンスを感じるのに、どこか新鮮です。国際色豊かなバックグラウンドですが、アジアの伝統技術や文化をデザインに取り入れる理由は?

父の影響が大きいですね。父は貿易商をしていて、いつも海外の伝統的な衣装をお土産に持って帰ってきてくれました。それを見せたり着せたりしながら、「このバティックきれいでしょう?」「このインドの布、きれいでしょう?」と、アジアのものをたくさん教えてくれました。

あと、父は山が好きで、子どもの頃からいっしょに虫をつかまえたり、山に行ってお花を摘んだりして遊んでいました。花がすごく好きな人だったので、家の中には蘭や水仙。庭には金木犀……。年がら年中花が咲いている家でした。

「Enlee.」は、自然からインスパイアされているものが多いのですが、それもやはり父の影響ですね。

―― 小さい頃から、たくさんの文化に触れてきたのですね。いかにして、多様な文化を自分の中に落とし込んできたのかが気になります。

父も、インターナショナルスクールに通い、イギリスの企業でずっと働いていましたし、親戚はアメリカやオーストラリアにいます。2人の姉も兄も、海外の大学に通ったりしていたので、確かにマルチカルチャーな家族だったと思います。

ただ、それは日本では「珍しい」ように感じますが、世界で見ればルーツがミックスしている人のほうが圧倒的に多いので、あまり自分では特別なことだと認識しないようにしています。

加えて、「アメリカナイズ」「ブラジルナイズ」といった、「◎◎ナイズ」みたいなことを好ましく思わない家族だったんです。

確かに我が家は、中国にルーツがありますが、私たち姉弟が生まれ育った場所ではありません。だけど、教養として中国の歴史や政治を学び、意見を尋ねられたら言えるようにしなさい、と言われていましたし、同様に日本のことも、生まれ育った場所のことなんだから、ちゃんと勉強して、意見を言えるようにしなさい、と言われていました。

私は日本人といえば日本人ですが、自分が「◯◯人」ということより、アイデンティティをしっかり持っていれば良い。そういう方針の家族でした。

2017SSコレクションより(提供:Enlee.)

歴史を振り返っても、新しい文化は、文化と文化が交わるところに生まれてきました。青磁器などを運んだシルクロードはその象徴です。ライラックは、フランスでは白いものが「青春のシンボル」と親しまれていますが、原産地・イランから昔輸入されたものといわれています。

非常に多くの文化が互いの文化をインスパイアして、また新たな文化となり、定着してきました。だから、ミックスされてぜんぜん良い。「Enlee.」の服も、自由に楽しんでいただければうれしいです。

2017SSコレクションより(提供:Enlee.)

―― そうしたミックスカルチャーを体現するデザインに感じます。デザインをする際、気をつけていることや考えていることはありますか?

いま、日本のファッションで「売れる」ものといえば、ヨーロッパで流行っているもの。企業デザイナーとして働いていたときに、それをすごく感じました。

でも、そういう流通するデザインっていうのは、オリジナルから何層にもフィルターが掛かって生まれたデザインです。コレクションデザイナーが作ったものを、何人もの人が「真似」したものが、実際に「売れる」もの。それは「ものを作りだすこと」とは違いますし、そういうデザインには抵抗がありました。

ただし、ファッションはビジネスでもあります。お金を回さなければ、職人さんにも適切なフィーを払えませんし、誰もハッピーになりません。私自身がデザインするときも、お客さまに寄り添った要素をたくさん取り込みつつ、アクセントとして自由な発想をスパイスとして足して仕上げています。

―― さまざまな文化を体験して、あらためて日本のファッションについて思うことはありますか?

日本で売れるものは、西洋で生まれたデザインを踏襲したものが多く、「西洋が良い」という感覚は、どこかしらあるかもしれません。ただ、よく見ると、岐阜のコットン素材や岡山のベルベットなど、日本の素材を西洋のコレクションブランドはたくさん採用しています。素材づくりは日本が世界でもピカイチ。

ものづくりの職人さん含め、デザイナー含めて、日本では「ものを作る人」に対する評価が特に低いと感じています。分かりやすいところでいえば、建築家の安藤忠雄さんが、日本で評価されなくて、海外で評価されてから、やっと日本でも認められたという話があります。そうじゃなければいいなと、思いますね。

――「Enlee.」はいま3年目を迎えています。今後の目標などお聞かせください。

アジアを見渡せば、スワトウ刺繍、バティック(ろうけつ染め)など、素晴らしい技術がたくさんあります。だけど、ブランディングができていません。「Enlee.」は、アジアの伝統の文化や技術に対してブランディングをしていきたいですが、将来的にはアジアのオートクチュールを作りたいんです。そうして、アジア全体で「ものを作る人」の評価を底上げしていきたい。ものづくりの環境を整えていけたら、と思っています。

ものづくりは決して戦争を止めたり、政治を動かすことはできません。しかし、丹念に作られたものは、作り手の思いをのせて、人に豊かな感情をもたらし、喜びを届け、人を幸せにすることができると強く信じています。

いまある予算と力とでできることは、生地作っている方、パターン作っている方にきちんと敬意を払うこと。だからいつも、「作ってくれてありがとうございました。こういうものができました」と、見せています。その流れを、もっと大きな枠組みで作っていきたいです。

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