「突然街中に出現する本屋・劃桜堂」の大野がお届けする、すこぶるいいかげんな本の紹介。
いつの間にか、日常に「本」が忍び込んでくる……。
読書に理由を求めるのはナンセンスである。
本を読むのは「そこに本があるから」という理由が望ましい。
登山家は山に登る費用対効果を計算したりしない。それでも山に登った先になにかがあると直感的に信じている。
「本を読むと頭が良くなって、自分の知らない世界を知られて、人の気持ちがよく分かるようになる」と、言われても本を読みたいとは思わないだろう。
むしろかわいい女の子に「べっ、本なんか別に読んだって毒にも薬にもならないんだからねっ///////」と言われたほうが読んでみたいと思うはずだ。
というわけで今回はかわいい女の子に代わって、私からみなさんに言おう。
「べっ、別に読ん(自主規制)」
さて、劃桜堂はもうすぐ、初のLINEスタンプをリリースする。
その名こそ「毒にも薬にもならないスタンプ」。実用性のなさを極限まで追求した、非常に有用なスタンプである。
というわけで今回は、毒にも薬にもならない本を紹介する。
毒にも薬にもならない本を読みながら、毒にも薬にもならないスタンプを楽しみにしていただければ幸いである。
声に出して読みづらいロシア人
松樟太郎(著)、ミシマ社、2015年
ブジョンヌィ、ロストロポーヴィチ、チェルヌイシェフスキーなどなど。大変読みづらいヌィ。
この本はただただ声に出して読みづらいロシア人を紹介しているだけの本である。
筆者のコメントで「名前だけでも覚えて帰ってください」と書いてある。……覚えられるか!
登場する人物で印象的な紹介文があっても、読み終わる頃にはすっかり名前を忘れている。
プーチンに目を付けられたが、イギリスのプロサッカーチーム・チェルシーを買収して世界的有名人になり難を逃れた、あの、ほら、その、ヌィ、ヌィ、ヌィ………
読みづらいロシア人の名前の前に、圧倒的無力感を味わうにはうってつけの本である。
不要家族
土屋 賢二(著)、文藝春秋、2013年
この本は毒にも薬にもならない本の金字塔ともいえる。読んでもなにも頭に残らないよう、あらゆる工夫が凝らされている、脳に優しい一冊である。
筆者は言う。本の内容が頭に残ると、偏見だらけの頭にさらなる偏見を追加することになり、読者に迷惑なだけだと。
頭に残らない文章を書くうえで、本書では「いっさいの主張をしない」方針を取ったと、筆者は続ける。
非常識な意見を言えば目立ってしまい、読者の頭に深く印象づけられることになる。しかし問題は、非常識な人間には、なにが非常識な発言か分からんということだ。
ならば、なにも主張しないのが正解である。
名言も一切排されている。「どんな名言も、固定観念を植え付け、自由な考え方を阻害するだけだ」というのが理由だ。
頭の中にある不要な意見や偏見に、はっ! と気づかされるかもしれない。
やりたいことは二度寝だけ
津村 記久子(著)、講談社、2012年
「私、この世で一番本が好き!」と、言う人に朝6時に電話をかけてみよう。
寝ぼけながら電話に出るはずだ。
そこでこう聞いてみる。
「本と二度寝どっちが好き?」
間違いなく「二度寝」と答えるはずだ。
この本のタイトルを見た瞬間、読書なんかしてる場合じゃないや、二度寝しよ! と思うはずだ。
本を読ませたいのか読ませたくないのか全く読めない。
内容も、肩の力を抜こうと思ったら腕ごとすっぽ抜けたような気がする。
ぜひ二度寝の後に読んでもらいたい。
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