アフリカやアジアを中心に60カ国以上を回り、途上国で生きる人びとを撮り続けている写真家・渋谷敦志氏。彼の原点は、ブラジルにある。
1996年、20歳のときに大学を1年間休学し、サンパウロへ留学した。滞在中、カメラを持って8,000kmをバスで旅した中で出会った人や風景は、写真を撮ることの楽しさを教えてくれたという。
帰国後、写真家となった後も、ブラジルを度々訪れてきた渋谷氏。2016年7月、20年の間に撮りためてきた作品を写真集にまとめて出版した。タイトルは「回帰するブラジル−Brazil, Glimpses of Saudade」。「Saudade(サウダージ)」とは「郷愁」の意だ。
渋谷氏にとって、ブラジルを語るうえで、そして写真集のキーワードともなったこの言葉。渋谷氏にとってどんな意味を持つのか。
ブラジルと写真のつながり
写真を始めたのは17歳のとき。戦場カメラマンへの憧れからだった。日常を飛び出し、激動する世界の「現場」に身を置き、自分がどう変わるか試したかった。
大学1年生の冬、阪神淡路大震災が発生。当時住んでいた大阪から写真を撮りに行った。当たり前の日常を突然破壊され、生きることに懸命の被災者。カメラを鞄から出すこともできなかった。
人を撮るのって怖いんだな。
写真以前の問題があると痛感した。
海外で自分を鍛えたい ――大学で偶然、「ブラジルで働きながら学ぶ」と謳う留学研修プログラム(※現在は「ブラジル日本交流協会」)を見つけ、迷わず応募した。合格後、ブラジルの有名な写真家の写真展が開催されると聞いて見に行った。写真家の名は、Sebastião Salgado(セバスチャン・サルガド)。世界中の労働者を撮ったシリーズ「WORKERS」の大規模な展覧会だった。
その中で特に衝撃を受けたのが、アマゾンの奥地にある金鉱「Serra Pelada(セラ・ペラーダ)」で働く人びとの写真だった。露天掘りの金鉱で掘り起こした土を運び、わずかな金を採取する作業を、泥にまみれながら延々と続けるガリンペイロ(採掘者)の群れ。同じ時代に起きている出来事とは思えなかったが、その写真が持つ熱量に心を奪われた。
初めて、写真ってすごいな。もっかい写真に賭けてみよう、と思った。
8,000キロの旅 〜始まりはサンパウロ
研修時代の最後の1カ月間、サンパウロ州やミナスジェライス州がある南東部から、バイーア州などのノルデスチ(北東部)と呼ばれる地域を経て、アマゾン河の河口へと北上する撮影旅行をした。2002年から2015年の間に断続的に繰り返した旅は、結果的にこの1996年の8,000kmにおよぶ旅をたどり直すルートとなり、今回の写真集にまとまった。
ブラジル最大の都市・サンパウロの中心地セントロは、渋谷氏にとって最も懐かしい場所だ。
当時働いていた法律事務所がセントロのビルにあった。そこから徒歩2、3分のところにある高層ビルの36階に上っては、展望台からサンパウロの街並みを眺め、「自分はなにをしにブラジルに来たんだろう」って一人物思いにふけってた。
そこからの景色を見ると「ああ、サンパウロに帰ってきた」っていう気持ちになる。だから、いつもブラジルに行ったら必ずここに立ち寄る。
写真集もセントロから始まる。一番多くの時間を過ごした「始まりの場所」から、記憶と感覚を辿り、「ブラジルなるもの」の原点に触れる旅が始まる。
ブラジル全土で開催されるカーニヴァル 〜バイーア州サルヴァドール
国民の約7割がカトリック教徒。イエス・キリストの受難と復活を記念するイースターの前の46日間は、「四旬節」として質素に慎ましく過ごす。
四旬節に入る前の数日間を開放的に過ごすためのカーニヴァルは世界各地のカトリック国家で行われるが、各地方でユニークな発展を遂げたのがブラジルだ。日本ではリオ・デ・ジャネイロのものが有名。「いまカーニヴァルに行くなら、バイーア州が熱い」と友人に勧められた渋谷氏は、州都であるサルヴァドールへ。そこで、人生初めてのカーニヴァルを体験し、ハマった。
リオ・デ・ジャネイロのスラム街でイースター
「リオ・デ・ジャネイロは間違いなく、世界で一番憧れる街だ」と語る渋谷氏は、この街を数え切れないほど訪れている。昨年のイースターは、約10万人が暮らすともいわれるリオ最大のファヴェーラ(スラム街)にいる友人に会いに行った。
お祭りがあるから、夜にカメラを持って撮り歩いても問題ないよ。
決して治安が良いとはいえない場所でも、住人の言葉を信じるのが、世界のどこに行っても採用する基本ルール。
そうやって撮れたのが、キリストの復活を再現した劇だ。丘の上にできたファヴェーラ全体を舞台に見立てた、壮大な歴史の物語を撮影しながら、「あ、なにかがつながった。本にできるんじゃないか」と思った。これまでの20年間が、一つの物語として、円のように一周した気がした。
カーニヴァルからイースターまでの時間の流れが、僕の20年間の旅と重なったんよね、感覚的に。
ノルデスチに広がるブラジル的原風景 〜バイーア州〜ペルナンブーコ州〜セアラー州
北へ旅立つときは、何十時間もバスに揺られながら北東部の乾燥した地域を眺めた。すると、いつも心が研ぎ済まされるような感覚になった。
心から雑多なものがなくなると、写真って勝手に撮れるんよ。
それまで、主観で切り取りメッセージを持たせる、という姿勢で写真を撮ってきた。しかし、技術的な態度では写らないものがある感覚を覚えたのが、ノルデスチだった。
心が空になって出会えた「ブラジルなるもの」の風景。あのシンクロして心が洗われるような、魂に触れるような感覚がすごい好き。ぼくのブラジル的瞬間。
この地域は、いまも文字の読み書きが不自由な人たちが多く、特に年配の人は文字に頼らずに生き抜いてきた。
そんな人たちのコミュニケーションって、ちょっと違う。思ったこと感じたことを話し言葉やジェスチャーで伝えるので、すごくダイレクト。彼らの表情や目に、自分の心がまっすぐに見つめられているような感覚になる。
粗野で、ワイルドなブラジル 〜アマゾン
20年間通い続ける中、ブラジルの変化を感じてきた。都市部ではアメリカやヨーロッパと似た生活スタイルが浸透する一方、アマゾンの奥地には裸のブラジルがまだ残っている。粗野で、ワイルドなブラジル ーーこの数年、渋谷氏がアマゾンにハマっているのは、その野生に触れるのが好きだからだ。
この写真、ブラジルが凝縮している。赤ちゃんの表情、おばあさんの皮膚、木造の家、キッチンクロスから壁のお鍋の配置まで。
愛情ある、人との向き合い方
去年の旅の最後、日系ブラジル人が農園を営みながら共同生活する「弓場農場」に滞在した。そこで撮れたハチドリが空中で止まった瞬間が、次の写真だ。数センチしかない鳥を、1〜2秒のホバリングの間に捉えた。南北アメリカでは、旅人に幸運をもたらすと信じられているハチドリ。
旅にもたらされた便りに感じ、「良い終わりになる」と思ったという。
ポルトガル語で、「Beija Flor(ベイジャ・フロール)」。ベイジャはキス、フロールは花。キスするみたいに花の蜜を吸うから。良いネーミングでしょ?
こういうブラジル人のフィジカルに接する関係がすごい好き。ハグ、挨拶のキス、目と目を見て話す。人との向き合い方に愛情があるよね。自分もそういう風に人と接することができたら、素直に愛情を表現できたらなあって憧れる。
ブラジルの寛容さ
初めてブラジルを訪れた20歳の渋谷氏を感化したのは、この国の外から来た人への寛容さだ。
その人がどこから来たとか、なにに所属しているとかじゃなくて、『あなたは誰なの』『なにをしたいの』っていうことと、しっかり向き合ってくれる。そんなブラジル人の姿勢は、若かった僕を根底から変え、正直に生きることが強さなのだと教えてくれた。
このブラジルの精神は写真にも影響を与えた。人を撮ることは難しいが「一番楽しい」という感覚を、自分のものにすることができた。
さらに、この精神は、「自分がブラジルという壮大な夢に参画している気さえ起こさせる」と渋谷氏。
現に、ブラジルに生まれたら国籍はブラジル人になる。ブラジルの国籍がなくても、ブラジルに住む人間は幸福を追求する権利があると、憲法で保障されている。ブラジルには、寛容な理念を受け入れる土壌があるのだ。
そういう意味で、理想の高い国。現実とのギャップがブラジルらしいんだけどね(笑)。いつの日か、世界から戦争がなくなり、国境という概念もなくなって混ざり合ったら、世界は“ブラジル”になるというのが僕の持論。
Saudade ――明日を生きていく意志
僕にとってブラジルってなんなのか、ずっと考えてきた。「Saudade(サウダージ)」っていう言葉はやはりキーワードになっている。
「郷愁」と訳されることが多いんだけど、外国語に訳するのが難しい感情の一つ。僕が思うに、それは単に過去を振り返って、懐かしいと感じるだけじゃないなにか。悔いや寂しさ、痛みが入り混じった夜を越えるその先に、「明日を生きる意志」を見出そうという心。いま、ここを大切にして生きていくんだっていう気持ちにさせてくれるもの。
どんなに言葉を重ねても、この感覚にピッタリはまる表現が見つからなかった。その言葉を探すように、これまで写真を撮り続けてきた。今回の写真集制作を通し、写真と言葉と向き合いながらライティングを施すことで、「ようやく輪郭が与えられた気がする」と渋谷氏は振り返る。
大学生のとき、未来志向ブラジルのみずみずしい熱量に触れ、意欲が足りなくなったり、道に迷ったりすると、サウダージに呼ばれるようにブラジルに帰った。渋谷氏にとって、ブラジルを撮ることは、単に旅して人や風景を写し取るだけではなく、出会いと別れの繰り返しの中で、自分の心を試しながら道をつくっていくことだった。
この過程で触れることができる明日への意志に出会いたくて、ブラジルに戻ってくるんだと思う。
「回帰するブラジル」っていうタイトルは、原点に立ち還りつつ、まだ見ぬ世界を目指していく新たな旅のスタートにもするという意味を込めた。これまで、この旅を繰り返すことで、サウダージという感情が僕の中に宿り、人生の道しるべとなって広い世界へ連れてきてくれた。僕にとってブラジルは、その出発点であり、心の拠りどころなんよね。
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