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2016年6月20日の「世界難民の日」にあわせ、日本国内の難民を支援する認定NPO法人・難民支援協会(JAR)は、日本に住む難民の写真展を東京メトロ・表参道駅で開催する。写真を撮ったのは、フォトグラファー・宮本直孝氏。

ファルハ・息子(シリア出身)
夫ジュディが日本に逃れた時は、息子を妊娠中。その後、ISの台頭により故郷を離れ、娘とともにイラクの難民キャンプへ身を寄せる。日本で家族が再会するまでにかかった時間は2年半。日本は安心出来る国だが、子どもたちの行く末が心配。子どもたちは「警察」や「軍隊」という言葉を耳にすると、小さな肩をビクッとさせる。

ゾーミントゥ(ロヒンギャ)
ミャンマー政府が国民と認めないロヒンギャ民族。1998年来日。2002年にロヒンギャとして日本で初めて難民認定される。来日後、六本木のレストランや群馬県の工場で勤務。11年間働いて貯めた資金で、2009年にリサイクル会社を起業。家族は妻と3人の子ども。ミャンマー国内に残るロヒンギャのため、精力的に活動している。
現在、世界では、6000万人以上が紛争や深刻な人権侵害などにより、故郷を追われている。ヨーロッパを目指す難民やシリアでの紛争、世界中で発生しているテロなど、「難民」から連想されるイメージは厳しいものばかり。日本とは遠い存在であるように思われがちだが、1970年以降、1万人以上の難民を受け入れ、ここ数年はアフリカや中東などから年間数千人が日本に逃れてきている。

ブルクタウィット(エチオピア出身)
2007年来日。言論統制が厳しい母国で自由を求め活動し、二度に渡り逮捕される。逮捕状など難民である証拠書類をバッグの裏地を切って忍ばせ、命がけで出国。偶然ビザが下りた日本を目指したが、入国を拒否され、1年間収容される。裁判を経て3年がかりで難民認定を得る。現在は仕事と育児にいそしむ。

メディの息子(パキスタン出身)
父メディの家族呼び寄せが叶い、2015年来日。11年ぶりに再会した。兄20歳、弟18歳。兄は地域の日本語クラスで勉強しながら、父の会社を手伝う。弟はアルバイトをしながら日本語を勉強。ITの学校に行きたい。父によると、妻のおかげですごくまじめな子に育った。まだ日本の食べ物には慣れないが、二人とも日本に来て良かったと言う。パキスタンでは正義がない、賄賂が多い、安全がないから。これからは日本の友だちを作りたい。
難民は一人の人間である。
母国での住み慣れた家や仕事、大切な人、日本へ逃れてきた理由、そして今の生活、将来への希望と不安。
失ったあたりまえの生活を取り戻すことは簡単ではない。
そして、これらは一人ひとり違う。
難民という枠を外し、28人一人ひとりの姿を映しだすこの写真展は、
「日常の中で難民と出会い、気にとめてもらえる機会を作りたい」というJARと、宮本氏の「通りすがりに人の心を動かしたい」という思いが重なり、地下鉄コンコースでの開催が実現した。
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モニターを確認する宮本氏
ポートレートには、シリア、ミャンマー(ビルマ)、ロヒンギャ、アフガニスタン、イラン、バングラデシュ、ベトナム、エチオピア、クルドなどからの難民とその家族28人が協力。在住年数は1年~約30年と幅広く、幼少の頃に親と共に来日し、日本で育った「難民2世」も含まれる。
撮り下ろした宮本氏は、次のように話す。
想像してください。
自分が生まれ育った国にいられなくなることを。
言葉も何も、右も左も分からない国に一人ぼっちでいることを。会ったことも見たこともない難民も、一人ひとり顔も名前も違っていて、精一杯生きていて、みんな自分だけの物語を持っているんです。

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