両足義足の「普通でない」自分を消し去る 〜アーティスト・片山真理「you’re mine」についてのロング・インタビュー

A Picture of $name HITOMI ITO 2015. 3. 30

両足義足で活動するアーティスト・片山真理さん。両足とも脛骨欠損という、主幹を成す太い骨がない病気を持って生まれ、9歳のときに両足を切断しました。以来その独特な身体を介し、自分と自身を取り巻く世界との関わりを作品にし続けている彼女が、初の個展「you're mine」を開催しました。

→インタビュー「両足義足でハイヒールを履くという選択 / アーティスト・片山真理さん

「普通」の人に紛れ込む

そうして、いろんな自分がいることを考えてできたのが、「you’re mine」でした。このインスタレーション作品は、3人の「自分」で構成されています。

まず一人目は、真理さんの指紋まで型を取って作った石膏人形。顔の位置に配された女優ミラーは、立ち居振る舞いから身の処し方など、映った人を真理さんが吸収していくためのもので、「いろんな人たちを盗んでいく自分」です。

恵比寿・TRAUMARISでの「you're mine」の展示 ©TAKEO YAMADA

恵比寿・TRAUMARISでの「you’re mine」の展示 ©TAKEO YAMADA

次の一人は、セルフ・ポートレートの中に写る真理さん。ボディスーツと義足を履くための靴下を身につけ、厚化粧でかつらをかぶり、無理な体勢を取って写るその姿は、他人を吸収して生み出した「外っつら」の片山真理像です。最後のもう一人は、等身大の全身鏡の中。そこに映った「いまの自分」です。

同じ人物が、同時に複数の場所に姿を現す「ドッペルゲンガー」という現象になぞらえ、この3人の「自分」は一つの場に揃えられています。それは、ドッペルゲンガー3人が一箇所に集まると、その人は消えてしまうという説があるから。

顔には「女優さんがなるべき自分になるために向かう場所」という女優ミラー。©TAKEO YAMADA

顔には「女優さんがなるべき自分になるために向かう場所」という女優ミラー。©TAKEO YAMADA

3人目の「いまの自分」を映す全身鏡。「全身鏡だってあるけど、私がそこにいなきゃ何も映らないでしょう?」と真理さんは話す。©TAKEO YAMADA

3人目の「いまの自分」を映す全身鏡。「全身鏡だってあるけど、私がそこにいなきゃなにも映らないでしょう?」と真理さん。©TAKEO YAMADA

いろんな自分の「外っつら」を作っているのはなぜなのか。なぜ誰もがそういうふうに振る舞うのかーーそんな疑問が、ふと長年足かせになっていたものから解き放つきっかけになりました。

社会の中でうまくやっていくうえで、「こういう場面ではこうやって振る舞おう」「こうしたら怒られる・嫌われる」とかの振る舞い方って、誰しも人を見て学んでいくものだって思ったんです。

「そっか、みんないろんな人を見て盗んで、自分ってものを作り上げていくんだな」って思ったとき、「それって、私が人のことを真似してきたのと、同じかもしれない」と思ったんです。

物心ついたときから、「普通」に紛れ込みたくてしかたがなかったんですけど、だからっていろんな人を真似して「吸収」してきた自分のことも、コンプレックスに感じてたんですよ。自分がつぎはぎだらけで本当はなんにもない存在なんじゃないかって。

だけど、「みんなと同じ」だって思えた。これで完全に「普通」に紛れ込むことができたのかもしれないですね。

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