教育を受けずに育った元船上生活者の親の下に生まれ、貧しさや絶望感を乗り越え、想像を絶する努力をし、「Phuhiep(フーヒップ)」ブランド立ち上げと同時に、アーティザンとしての自立の第一歩を踏み出したルンが、妊娠しシングルマザーとして子どもを生むことになりました。
→前回のお話「『私、シングルマザーになります』」
ルンから妊娠のことを打ち明けられたのは、ちょうど私たちがホーチミンでの初のコレクション展に向けて、準備をしている初夏のことでした。出産の予定は、今年の暮れ頃とのこと。ルンは日々大きくなるお腹をなでながら、体の負担のない範囲でアトリエでの仕事を淡々とこなしています。クリスマスにはきっと、元気なベイビーに会えることでしょう。
元船上生活者の定住地区の子どもたちの多くには、父親がいません。抗えない歴史の大河に翻弄される苦しい生活に堪え兼ね、夫が妻子を置いて失踪してしまうのです。残された妻が内職やその日暮らしの肉体労働をして子どもたちを必死に育てていくというケースや、最悪の場合には不法労働や人身売買に子どもを追いやってしまうというケースもあります。そういった彼らの子どもたちもまた、シングルマザーのまま身ごもるケースが多くみられます。ルンもその1人となったのです。
かつてルンが「お母さんは、私のことを愛していないの。私より姉のほうが大事みたい」と、つぶやいたことがありました。ベトナムでは、男の子が女の子よりも、はるかに大切にされて甘やかされて育つ社会であるようですが、ベトナムの中でも特に保守的な慣習が残っているフエにおいて、もしかすると、女の子の中でも年上の子のほうが(親の面倒を見るという意味でも)大切にされるのかもしれません。また下の子どもになるにつれて、親が愛情をかけなくなるということもあるのかもしれません。
ルンの持つ、人なつっこさや愛嬌は、元船上生活者であるいう生まれ育った家庭環境や、もしかすると日々感じているちょっとした愛情の欠如の裏返しなのか? と考えてみたりもするのです。
愛情たっぷりかけたものづくりの現場からアクセサリーは生まれる
そんな元船上生活者のコミュニティで育った女性アーティザンらとともに仕事をしていく私たちは、彼女たちが不安なく長く働いていけるよう、さまざまな環境を整えることが必要だと思っています。
生まれ育った環境が壮絶であったからこそ、いま自立に向けて日々努力をしているアーティザンの女性たちにとって「Phuhiep」のアトリエが、単に職場としてだけではなく、彼らの心のよりどころであることが、とても大切だと思うのです。
自分が努力すれば、裏切らず正当なフィードバックを得られること。逆に、努力を怠ればそのぶんも自分に跳ね返ってくること。こつこつと毎日目標に向かっていけば、自己実現できると信じられる場所であること。ともに働く仲間とのチームワークで、困ったときには互いに手を差し伸べ、助け合うことのできること。血のつながりはなくとも、壊れない絆を全員が感じられること。
アトリエという職場そのものが自分たちの「ホーム・家族」と感じられるような場所を提供したい。「chúng ta là gia đình!(私たちは家族)」いつも魔法の呪文のようにこの掛け声を互いにかけ合っています。
製造業では当然のことながら、生産効率を追求し徹底的に無駄を削ぎ落すことも重要です。そのために大量生産でスピード感を持って、より安価に生産するというのも一つのあり方です。「Phuhiep」というアクセサリーブランドの中で、私たちが目指すものづくりの指標は効率ではなく、質の高さと優しさといえるかもしれません。品質の良いものを作るために、アーティザンに効率性や生産数で評価することはありません。ミスなく丁寧に作ることができたか、そこが一番大切です。効率での評価はしませんが、ミスや間違いは評価に反映します。
そしてもう一つ、家族である同僚やアーティザン仲間に優しく接し、助け合うことができたか。誰かが困っているときに、気づいて声を掛けることができたか、そこも評価に反映させている大切な要素です。単純に数値化できないところを評価し、アトリエ運営ひいてはブランド経営の指標とするというのは、「Phuhiep」のものづくり、ビジネスとして志している理想型への一つの特徴です。
目下の課題は、ルンが安心して子どもを出産し、育てていくことができるような職場環境を整えること。アトリエにベビールームを作って、ゆりかごを揺らして、自分にも家族にも同僚にも優しく接せられる愛情に溢れたアトリエの環境から、一点の曇りもない美しいアクセサリーを生み出していきたいのです。
アクセサリーには、願いをかけて。
「Phuhiep」のアクセサリーは、アーティザンたちの手で一点ずつハンドメイドで作られています。このアクセサリーを身につけてくださる方のことをイメージしながら、気持ちと優しさを込め、時間を掛けて作るよう、日々アーティザンたちには話しています。
アトリエからアクセサリー出荷するとき、スタッフ全員でしているちょっとしたセレモニー? 儀式? があります。それは、アクセサリーにおまじないをかけること。
「このアクセサリーを身につける人に幸せが訪れますように」
じっくりゆっくり時間をかけて人を育て、ていねいにものを作るという「Phuhiep」のアクセサリーだからこそ、身につけたときにおまじないの効果も感じていただけるかもしれません。
さて先週から、「Phuhiep」は一つの大きな段階を迎えています。ファッションウィーク真っ盛りのパリで、権威あるファッション展示会に、名だたるブランドと肩を並べて出展するのです。次回は、その模様と、出展することにしたその思いについてお話したいと思います。
(次回に続く)