イスラエルが7月8日(火)に軍事作戦を開始して以来、パレスチナ自治区ガザに大規模な空爆と地上侵攻が行われた。8月5日(火)、イスラエル軍はハマスとの合意に従ってガザ地区から完全撤退すると発表し、国際的な調停が本格化しだしたものの、和平交渉が再開する見通しは立っていない。
パレスチナの女性たちが作った手刺繍のアクセサリーやバッグを、パレスチナに唯一残る織物工場から「ラスト・カフィーヤ」を届ける「パレスチナ・アマル」。その北村記世実氏が、同じ「深い悲しみの時代」を過ごした日本からパレスチナへ送る、平和への願い。いっしょに、平和を願いませんか?
「いつかまたあなたに会える日まで、生きていたいです……」
そう、ガザの友人からメールが届いたのは昨日のことでした。きっと、72時間の停戦の間に書いてくれたのでしょう。7月8日のイスラエルによる空爆開始以来、待ち焦がれていたメールでした。
私はパレスチナのテキスタイルの輸入販売をしています。本当であればガザの品物も扱いたいのですが、2006年から続くイスラエルによる完全封鎖のために入ることも叶いません。ガザは「天井のない監獄」と言われています。分離壁により封じ込められ、人や物の移動が厳しく制限されているからです。人々の生活は貧しく、乳幼児の半数が栄養失調であるそうです。
私がガザに初めて行ったのは、1999年のことです。ある医療系NGOのユース・ボランティアに参加して、赤三日月社(アラブ版赤十字社)のリハビリセンターで、ハンディキャップのある子供たちと一緒にワークショップを行いました。ですので、現地に多く友人がいるのですが、彼らとずっと再会を果たせないままです。友人の結婚パーティーに参加することもできず、出産祝いを送っても、届くことなく送り返されて来ました。
パレスチナ人は「テロリスト」ですか?
現在私は、ビジネスを通してパレスチナと関わっていますが、パレスチナへの関心は薄いのだと痛感することが多々あります。例えば名刺交換の際にも、パレスチナと見て「テロリストですか?」と聞かれたことがあります。
パレスチナ人は「テロリスト」なのでしょうか? だから、今回イスラエル軍に1889人を殺害されても仕方がないのでしょうか? ーーそのうち、432人は子供であり、243人は女性、79人は老人です(International Middle East Media Center, 2014/8/9)。一方、イスラエルの犠牲者は67人で、このうち3人は民間人。ほかは兵士です。ここからも分かるように、世界第7位の軍事力を持つイスラエルとパレスチナでは圧倒的な戦力の差があり、決して「対等な戦争」などではありません。
では、「ガザを実効支配しているイスラム原理主義組織」ハマスが「テロ組織」なのでしょうか? ハマスは選挙によって選ばれた政党ですし、「イスラム原理主義」という言葉自体が、反イスラム主義によって作られた客観性に欠けたものです。
そもそもパレスチナ問題を宗教戦争だと思っている方も多いですが、極めて政治的なものです。第一次世界大戦中に行われたイギリスの三枚舌外交によりアラブ人にもユダヤ人にもパレスチナの所有権を与え、第二次世界大戦後に国連がイスラエル建国を認めたために起こりました。すでにパレスチナにはパレスチナ人が生活していたわけですが、イスラエルは「民なき土地に、土地なき民を」をスローガンとし、「民なき土地」にするべく多くの人々を殺害し、追放していきました。そして彼らの文化まで奪おうとしています。
例えば、「ラスト・カフィーヤ」の織物工場がある商業都市・ヘブロンにはユダヤ人入植地があり、そこでの生活は決して容易なものではありません。街を歩いていると、頭上には大きなネットが張られてあります。何かと尋ねると、建物の上階に住みついたユダヤ人入植者が、糞尿の入った瓶やゴミなど下を通るパレスチナ人に投げてくるのを防ぐためだそうでした。ただ歩いているだけでユダヤ人入植者に殴られることもあるそうで、旧市街では多くの店が閉まり、まるでゴーストタウンのようになっていました。
しかし、だからといって、ハマスの撃つロケット弾が赦されるわけではありません。パレスチナにも、イスラエルにも、双方に平和が訪れることを心から願っています。
「Gazashima」〜ともに平和を願う気持ちを込めて
「パレスチナ・アマル」では、パレスチナの文化の保護の一助となるべく、伝統工芸や地場産業を大切に扱っています。特に、安価な外国製にシェアを占められる中、パレスチナに唯一残る織物工場で作られた最後のパレスチナ製カフィーヤ「ラスト・カフィーヤ」を中心に販売を行っています。
カフィーヤはアラブ諸国の伝統衣装ですが、パレスチナのオリジナルのものはアラファト議長が頭に巻いていた白×黒のものです。これは何か強く訴えるときなどには必ず身にまとうような、パレスチナ人のアイデンティティーの象徴です。しかも、この工場で使われている織り機はなんと日本製です。いまは自動車メーカーのスズキが、創業当時に機織り機を製造しており、それがどういう経緯かパレスチナに行き着き、現地の工場ではメンテナンスを繰り返しながら、60年間使い続けています。古い日本製の織り機が、パレスチナの地場産業を保護しているーーすばらしいことですね。平和を願う全ての方へ、お届けできればと思っています。
その「ラスト・カフィーヤ」の端切れを使って、「希望のコサージュ」というリボンの販売も行っています。これは空爆下のガザへの祈りの中から生まれたもので、収益の一部は国際協力NGO 日本国際ボランティアセンター(JVC)に寄付し、ガザの緊急支援に役立てて頂きます。
意外に思われるかもしれませんが、パレスチナ人に自分が日本人であることを告げると、ヒロシマ・ナガサキのことをよく言われます。「君たちには深い悲しみの時代があったね」と。空爆で廃墟となったガザの風景に原爆ドームを重ねて、8月6日には「Gazashima」という写真もFacebookで流れていました。それほどパレスチナ人は日本に思いを重ねてくれています。
今も、ガザは空爆下にあります。パレスチナ・アマルでは販売を通して、パレスチナの人々によりそい、サポートしていければと思っています。
pray for peace, pray for palestine