「Phuhiep(フーヒップ)」のアトリエがあるのは、フエ王宮のすぐそばの一角。そこで働く女性たちとの出会いは、いまから7年前。当時のフエはまだ貧しく、12歳前後の少女たちが路上で物売りやゴミ拾いをしているのは珍しくなかった。少女たちは貧しく、幼いながらに必死で家計を支えていた。「Phuhiep」というブランドはどうやって生まれたのか? 第1回は、出会いのストーリーです。
古都・王宮の町フエから生まれるアクセサリー
ベトナム中部の町、フエ。19世紀〜20世紀半ばにかけて、ベトナム最後の王朝・グエン朝の都が置かれ、華やかに栄えた町。当時の王宮や帝廟といった歴史的な建造物群が世界遺産に登録されている、古くからの歴史のある美しい古都です。
宮廷料理や宮廷音楽に代表される豊かな文化的礎(いしずえ)とともに、いまも悠久の歴史が人々の暮らしに息づく、この古都フエに、「Phuhiep」のアクセサリーが生まれる小さな小さなアトリエがあります。
フエの町の真ん中には、ベトナムの豊かさを感じさせるフォーン川(香河)がゆったりと流れ、その川のほとりに風格漂うフエ王宮が悠然と佇みます。この川を挟んで、王宮側は「旧市街地」、向こう岸は「新市街地」と呼び分けられ、それぞれ異なる趣きをたずさえています。
「Phuhiep」のアトリエがあるのは、フエ王宮のすぐそば、「旧市街地」のとある一角。世界中から観光客の訪れる王宮エリアの脇から一本小道を入ると、そこには民家や商店も建ち並ぶ、ゆったりとした旧市街地の人々の普段の暮らしが広がります。
そんなフエの旧市街地に位置する「Phuhiep」のアトリエで、日々アクセサリーを作るのは、20代前後のフエの女性たちです。数年にわたり地道に訓練を受け、技術を習得し、いまでは数々の美しいアクセサリーを手仕事で生み出す立派なアーティザン(職人・技工)であり、また自立した大人の女性としても輝き始めた彼女たち。ですが、かつては読み書きさえままならず、自信もなく、将来の夢も語ることのなかった少女たちでした。
「Phuhiep」の始まり、出会い。
いま、「Phuhiep」のアーティザンとしてともに働く女性たちと私たちとの出会いは、いまから7年前、彼女らがまだ少女だった2007年頃に遡ります。7年前、当時のフエはいまよりもずっと貧しく、町で一番大きな市場では、ゴミ拾いや路上で宝くじ売りをする12才前後とおぼしき少女たちを見かけることが少なくありませんでした。
本来であれば、小学校に通っている年頃であるはずの少女たち。聞けば、家庭が非常に貧しいうえ、彼女たちの親も学校に通った経験がないために、「教育よりもお金が必要」という考えから、幼い彼女たちが日銭を稼ぐことを強いられていたのでした。
さらに彼女たちは、あの町の真ん中を流れる雄大なフォーン川の上で、かつて暮らしていた船上生活者の家庭の女の子たち。現在は、元船上生活者のための居住区で暮らしているのでした。
フエの町が少しずつ発展し、スーパーや高級レストランなどが町にぽつりぽつりとでき始め、バイクや車の数が増えていくいまも、彼女らの暮らす、元船上生活者の居住区の家庭環境や住居環境は、それほど向上していません。むしろ、貧富の差が生まれ発展に取り残される中、精神的な無力感から、お酒やドラッグ、ギャンブル中毒になる大人も少なくありません。
「昨夜お父さんが酔っぱらって帰って来て、お母さんとけんかになって、家に火をつけたので全て燃えてしまったの」と、泣きながら話した少女もいます。小さな弟が3人いる4人兄弟の長女だった少女は、「昨日、お母さんが市場で携帯電話を盗んで、刑務所に入ることになりました。私は弟たちの面倒を見なくてはいけないの」と話します。
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