ハンド刺繍やレース編みなどの手仕事が特徴のブランド「maarenca(マーレンカ)」。べトナム手刺繍やモン族生地、マダガスカルのカットワーク、タンザニアのカンガ布、モロッコのゴブラン生地などを使用したアイテムを展開し、「使い捨て」「価格競争」などの消費志向の風潮に対し、作り手への感謝、一つ一つの物事に対する敬意を持つ心を取り戻してほしいというメッセージを発信し続けている。
そのデザイナーの1人を務めるのが、丸子安子(マルコヤスコ)さん。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震以来、積極的に被災地支援に取り組み、原子力発電所の問題を受けて集会、官邸前デモなど多数参加。ひいては2012年衆議院選挙で「未来の党」より東京5区に出馬、2013年7月の参議院選挙には「みどりの風」より東京選挙区で出馬するなど、徹底的に信念に沿って活動を継続する様子に圧倒される。いずれも落選という結果ではあったものの、「原発反対(即時0、再稼働なし)、TPP反対、オスプレイ反対、消費税増税反対」を一貫して訴えた。
そんな丸子さんが2013年新たに、プロジェクト「TUNAGU&TUMUGU(ツナグ・ツムグ)」を発表した。福祉施設・被災地・途上国と消費者をつなぐプロジェクトだ。2003年のブランド設立以来、10年にわたって一貫して社会と密接に関わるかたちでファッションを提案してきた丸子安子さんに、その根底にある思いを尋ねた。
3.11をきっかけに動き出した
―― 3.11以来、常に積極的に活動しておられ、傍から見ていても3.11が大きな転機だったようにお見受けしていますが、3.11とは丸子さんにとってどういうものだったのでしょうか?
当日は上目黒のショップ(※現在は閉店)にいたんですが、「大した揺れじゃないな」と感じたんです。帰宅するときも、「ちょっと道が混んでるな」という程度で、家族も影響なく帰ってきたんです。だけどテレビをつけたら津波の映像が流れていて、ものすごいショックを受けました。同時に、「大したものじゃない」と感じてしまった自分を許せなかったんです。それで「何かしないといけない」とまずは動き出しました。
神奈川から出る支援物資のトラックを知って「自分たちでも何かできるんだ」と、そこから「maarenca」で支援物資を集めて仙台のNPOに2〜3カ月にわたって何十箱ものダンボールに物質を詰めて届けました。1週間ごとに必要なものが変わってくるので、「今、何が必要なのか」をブログで投げかけては集めました。近所のご家族から遠くは大阪や長野の方々から物資をいただけました。
「3.11」は津波と地震だけじゃなく、原発事故・放射能汚染という問題も引き起こしましたが、次々出てくる知らないことを調べて知れば知るほど、「今、何かしなければ」と思ってここまできたという感じですね。分からないことに対する好奇心がひと一倍強い性格なんです。
―― 先日はちょうど都知事選がありました。政治の活動にも取り組んでこられた丸子さんは、今回の都知事選をどう見ましたか?
細川護熙さんが脱原発を掲げて出馬をしてからは、原発問題を政府も無視できなくなりました。その結果、原発の基本計画の検討を得るところまでいったのに、残念ながら選挙結果を受けて頓挫してしまいました。今回の結果を見ても、都民の意識・知識がまだまだ足りていないのだと感じました。
脱原発をしても再生エネルギーの技術は十分なうえ、この技術は近い将来輸出産業として発展できるもの。また、脱原発が決定しても核のゴミの処理や、原発の解体などの仕事が待ち受けており、現在、原発に関わっておられる方の雇用がなくなるわけではありません。原発老朽化に伴う原発解体は、海外でも問題となっていて、今すぐに原発廃炉に着手すればこちらも輸出産業としてビジネスにも結びつけられます。このような事実をより多くの方々に伝えていきたいと思いましたね。
―― さかのぼって、「maarenca」というブランドについて教えてください。「maarenca」は海外のモチーフをコラージュのように使用していましたが、どうして始まったのでしょうか?
18年前、主人(※共に「maarenca」のデザイナーを務めるマルコノブヒロ氏)とベトナム旅行に行ったのですが、ちょうどその頃はドイモイ政策に踏み切ったタイミングで、近代化が推し進められていた頃でした。大きな国営工場で勤務していた人々が民間企業に移り始めていたんですが、その流れの中でご縁のできた方々と直接取引をスタートしたのがきっかけで「maarenca」はスタートしました。彼らの製作した手編みレースや手刺繍などのモチーフを買い上げてアパレルアイテムに落としこんでいました。「maarenca」を通じて、それまで一工員でしかなかった方々が、自宅で人を集めて手刺繍・手編みの仕事などを始め、工房や工場を持つようになっていくという成長を目の当たりにすることができたのは何よりですね。
ほかにも、ベトナムの少数民族の手刺繍の生地を買い付けて使用していましたが、「今、手仕事を評価していかなければ世界中から手仕事がなくなってしまう」と思ったんです。
未完成で良いから買い付ける
―― 「maarenca」と同じようなしくみを、「TUNAGU&TUMUGU」ではプレーヤーを拡大したというかたちなんですね。
そうですね。現地の素材を買い付けて、デザインに落としこむというモデルがそのまま「TUNAGU&TUMUGU」に生かされています。その取引先が障害者施設・被災地支援の団体に広がったかたちですね。海外・障害者施設・被災地団体のアイテムを組み合わせて1つのアイテムに仕立てています。
海外という面では「TUNAGU&TUMUGU」は現在、およそ10カ国から素材を買い付けていますが、ネパールやモンゴルなど、国内外のNPO/NGOを通じて新しく取引を開始した国のほうが多いですね。NPO/NGOの事業で製作されたものを買い付けして使用していますが、今後も買い付け先は増やしていきたいです。それは、私たちが買い付けをすることによって、そのNGOへの支援になるから。例えば、ネパールの素材を買い付けているNGOは、ネパールで人身売買の被害に遭った少女たちを保護する活動をしていて、その事業の中で少女たちが製作したものなんです。
―― NGOによる商品というと、日本で売るにはテイストやクォリティ面で難があるという課題がよく挙げられます。
そうですね。私たちは、日本でいえば「不良品」というレベルであっても、そのまま買い付けています。
製作しているのは日本のように明るい電気やちゃんとしたフローリングで暮らしている人々ではありません。最先端のファッションや、上質な縫製を知る機会もありません。そういう状況の中で過ごしてきた人々に、日本で通用するクォリティを求めても非常に難しいでしょう。
過酷な状況の中でそれぞれ「よくぞ生き抜いてくれた」と思うんです。次は希望を持って仕事をして、生活のクォリティを上げていくことが彼らには重要です。だから「TUNAGU&TUMUGU」では、「それぞれが最大限できるレベルの品で十分だ」と、そのまま買い付けをさせていただいています。未完成のものでも構いません。それは障害者施設・被災地団体との取引でも同じです。障害の種類・程度が異なればできることも違います。どんなレベルであれ、彼らが最大限を発揮してできたものを用いて市場で通用する商品にデザイン・アップをするのが、デザイナーの仕事ですし、「maarenca」だからこそできることだと思います。
―― これまで活動されてきたさまざまなことが、1つに集約されたようなビジネスモデルで、壮大なプロジェクトですね。
それぞれの分野でがんばっている方々がおられますが、活動が「点」になっていて「線」につながっていかないんです。だから、がんばっている方々の活動をつなげて、それぞれの活動を続けられるようなお手伝いをしたいと思っています。
さまざまな活動を通じて、人々に伝えたいたった1つのこと
また、生活者の方から見ても「どこかに興味があるポイントがある」というふうにしたいんです。活動を続けるには、人々の関心が向けられなければいけません。いろんな方にとっかかりがあるブランドならば、多様な情報をより多くの人に発信できます。「TUNAGU&TUMUGU」を通じて、途上国・施設・被災地などについて、もっと気楽な意識で社会の視線が向けられるようになればうれしいです。
―― 「maarenca」から今に至るまで、一貫して社会と密接に関わるかたちで活動しておられますね。その思いはどこから来るのでしょうか?
下の娘のれんかが1歳のとき、悪性の脳腫瘍で入院していたんです。当時、3歳まで生きられるかどうかとまで言われていて、20時間以上かかる大手術を1歳のときに受けました。また、アメリカの研究所に血液を調べてもらったら、DNAのある箇所が壊れていたことが分かり、出産した場合5割以上の確率で子どもにその影響が出てくる可能性があったことも分かりました。それで、「1回ヒトのDNAが壊れたら、ずっとそれが受け継がれてしまう」というのを体験したんです。これからを担い、生まれてくる子どもたちに壊れたDNAを渡すことはできないという思いがありました。そのことが全ての活動の根底、特に放射能汚染ということに対してはありました。
「maarenca」というブランド名も「まあや」「れんか」という2人の娘の名前から付けたものですが、「この子がこの世に存在した」というのを刻むつもりで付けました。だから「maarenca」のものづくりも、売れるから作るというより意味のあるものを作り続けていきたかったんです。当時は、本気の願掛けもしましたよ。「私の残りの人生半分あげるから、どうかれんかが生きられますように」って。
今は元気ですが、ずっとさまざまな検査は続ける必要があったんです。それが本当につらそうだったので4〜5年前に通っていた病院一切を全てやめました。原発事故は、そのすぐ後に起こったできごとだったんですね。それでいっそう突き動かされましたね。
―― たくさんの思いを乗り越え、人一倍パワフルに活動されてきておられます。明るくポジティブなパワーはどこからくるのでしょう?
環境が悪い、政治が悪いって文句言ってても始まりません。文句を言っていると、自分に跳ね返ってきてしまいます。だからポジティブな方向に思いを転換していこう、と動き続けてきました。
現在はさらに、小説の出版に向けても執筆をしています。「THE SIX ELEMENTS STORY」というタイトルなのですが、悪も悪意もない世界で、ただただ、己の役目を全うする異世界の住人たちの話です。彼らの生きざまから、社会を変えるのは誰かではなく自分自身からであることを感じてもらえるものになると思います。楽しみにしていてください。
(インタビューここまで)
文化服装学院卒でもともとストイックなデザイナーが好きという丸子さん。Helmut Lang、Alexander McQueen、TOKIO KUMAGAIやAnne Demeulemeesterなど、「黒で武装する」ような服ばかり好きで、カラフルでキュートな「maarenca」とかけ離れたテイストのファッションを着ていたという。しかし最近は、色を着たいとも。「自分の中でも闘いはやめようと思った」。今後は服も展開していきたいというが、新しい「maarenca」にもぜひ期待したい。
「TUNAGU&TUMUGU」のアイテムは、サイトでの販売以外にも、イベントやポップアップショップを都内中心に開催している。情報は随時、オフィシャルサイトや公式Facebookなどで配信中。