混乱した社会の中でこそ希望を見てきたいところですが、「希望を見る」とはいったいどういうことでしょうか? 良いと思うものだけを選んでいくこと? 常に楽しいことを選ぶこと?
ここで気をつけたいのは、私たちは「良いもの」を選ぼうとするときは、「不安」や「嫌いなもの」を排除してしまいがちという点です。
あれは良くてこれは悪い、0か100か、正しいか間違っているか、○か×か……。
私たちは「こういうときはこうすることが正しい」「こんなことは絶対にしてはいけない」と、誰かの採点にさらされることが多い生活をしています。そうしているうちに、気がつけば自分も人や物事に○×採点をするようになってしまっているのではないでしょうか。または自分とは違う考えの人を、敵と味方に分けていないでしょうか?
もしそんな考えを持っている人がいるとすれば、どうかぜひ手放してみてください。
希望を見るというのは、不安や嫌なものを否定し排除するということではないと思います。逆に排除しようとすればするほど、不安や嫌なものは大きくなっていくでしょう。いまの時代に必要な希望の見かたとは、社会の問題も自分の不安も全てを受け入れて、その中で自分のできること、すなわち希望を、見出していくことではないかと思います。
正解か間違いか、正義か悪か、光か闇か。二元性で人や物事を見るのをやめて、全てに光も闇も存在していることを理解し、その全てが調和したバランスのうえに成り立っている世界を認めることで平和への一歩を歩みだすことができると思うのです。
完璧な人も、完璧なものもありません。完璧じゃない私たちが意見の違いで言い争いを続けるのは不毛ではありませんか? 認め合って一緒に未来を作っていくことで世界は変わっていくのではないでしょうか。
「オーガニックだけが良くて他はダメ」と言うと、良い/悪いの壁を作ってしまい、広まる流れがせき止められて弱まります。細かいことはあまり気にせず、「オーガニックもすばらしいから一緒にどうですか?」というなめらかなスタンスが一番広がりを見せてくれるだろうし、それがシンプルに「希望を見る」ということだと思うのです。