【デザイナー:荒井沙羅】
中国北京出身。1997年中国でデザイナーデビュー後、日本に活動の拠点を移す。2008年新しい視点から東洋の伝統文化とファッションのつながりを表現するプレタポルテライン「araisara」を立ち上げ、09-10 A/W より東京JFWにてコレクション発表。13SSからはパリコレクションに発表の舞台を移す。ブランドのコンセプトは『古き良きものを現代にそして未来へ……』。
ただ、私宛のメッセージが息子さんに残されていました。それはこんな内容でした。
デパート・企業で売るものも作らせてもらって、実際に人が着てくれたオーダー品もコレクション会場で見ることができた。最後には世間さまに見てもらえる服、着るだけじゃなくて、多くの人にメッセージを伝えるコレクションの服も縫わせてもらって、それを見ることができた。自分の人生はすごく幸せだった。それはMEIさんのおかげだ。
本当にハッピーで幸せな人生だったから、きれいな姿で見てほしいということだったのだそうです。
彼女はいなくなりましたが、多くの方が彼女が縫ったものを今も大事に着ています。コレクションの写真も残っているので、これからもみなさんに見ていただくことができます。誰も彼女の名前を知らないし、存在していたことも知りません。ですが、彼女がいたことで服は形になり、魂が響いて伝わっていくのだな、とそう感じたのです。だから、その人がいたこと自体が大きいアクションなのです。命というそのアクションの原型がなくなったとしても、服に形を変え、その中に永遠に残ります。
伝統のものや職人の技術も、時代と人の気持ちが変われば廃れてしまうこともあるでしょう。しかし、時間かけて作られた良いものには、姿を変えながらも必ず守られ受け継がれるところがある。だから、これからも継続してやっていこう。そう決めたコレクションでした。
そのとき出合った染めものが、このコレクションの要となっている「墨流し」でした。墨流しは、私もそのときに初めて体験したものでしたが、アクションの「響」というのが目に見えるものなのです。一つアクションして、また一つアクションする。それら別々のアクション出合ったときに、また新たなアクションが起こる。
墨流しでは、水槽に恣意的に色の点を垂らします。そしてまた別のところに色を一滴垂らす。すると、何もない静かな水槽に見えるのですが、色がじわじわと広がっていきます。本来、水は動きません。しかし、我々が感じなくとも風があるから水が動き、色が広がります。垂らした色が広がり、その先で別の色とぶつかってまた変化を起こす。「響」の過程が墨流しの中にあったのです。
職人さんは、墨流しを「風の模様」と言いました。風がないように感じる中で生まれる静かな風の模様なのだそうです。意図的に風を起こして水槽に送ると、大きい波紋が生まれ、激しさのある模様になります。水槽の水に私が風を送れば、水が『私、風を受けたよ』と答えてくれるのです。
それを見て、誰かに何かをアクションすれば、その人なりに必ず答えを返してくれるのだと感じました。何かアクションしたときには、必ず受け手がいる。そして何かしらのかたちで受け手もアクションをしてくれるのです。
墨流しは、風が答えてくれたその瞬間を染めるもの。「ここだ」と、一息で染め上げる決意と、全てのアクションが連鎖する過程のとある一瞬が、その一枚の布に込められています。「響」のコレクションでは、その布をそのままのかたちで残すのが私の仕事だと思い、穏やかな揺れで模様を描いていただきました。
墨流しの職人さんは私にこんな問いも投げかけました:『プロとアマの違いって何だと思う?』
墨流しは、自然の力を借りて偶然に生まれるもの。でも職人は、デザイナーやお客様の要望に応えるのが仕事。自然の力を借りて、要望に答える美しい物を作るにはどうしたらいいだろう? と。その職人さんは、こう教えてくれました。――「何と何を掛け合わせたときにはこのようなことが起こるだろうという『偶然性』を体で覚え、いかに偶然を必然に持っていけるか――それがプロとアマの違いだ」というのです。そのときに送る風のかたちで模様が変わる。でもこのように風を送れば、こういう模様になるだろう、という長年の経験を生かして、水に答えてもらうのです。
風があり、空気がある。それらはとても静かで目に見えないものですが、そこに確かに存在する自然。それらが偶然響き合った全ての一瞬が1枚の布に残されています。それはプリントとは確かに違うものだと、感動したのでした。
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