若手アーティストの発掘・育成を目的に開催される展覧会・アートアワード東京丸の内。若手アーティストの登竜門としてすっかり知られた存在で、今年で6回目を迎えました。2012年のグランプリは片山真理さん(24)。両足とも脛骨欠損という、主幹を成す太い骨がない病気を持って生まれ、9歳のときに切断。以来、両足が義足のアーティストです。
福祉と装いとハイヒールプロジェクト
『プロジェクトを進める中で感じたことでもあるんですけど、福祉の中でなぜ装いが排除されがちなのかというと、装いがリハビリのうちに入らないからなんですよ。福祉とは、「欠けたものに対し、必要なもの与える」というもの。それ以上は必要ないんです。日常生活が送れるようになるためのもの。
『でも患者も先生たちも、命がけでリハビリをしていて、それは字義どおり床を這いつくばっての闘いで、何も言葉にできないくらい壮絶な闘い。いっしょにやっていく先生たちも命がけで患者さんとぶつかっています。そんなときに、お洒落にまで気持ち向けられないのは分かるんです。リハビリの現場で「ファッション~」なんて、とても言えない。私も、すごくつらいときに「この義足ピンクにしたらどう?」なんて言われたらイラってしちゃうと思う。歩けるかどうか、生きていけるかどうかという崖っぷちで闘っている人たち。足が残るかどうか、切断するならどれだけ短くするかという話をしている人たちの前で、お洒落しましょうよ、なんて口が裂けても言えないです。
『ハイヒールプロジェクトは、当事者の人たちに「お洒落に目を向けよう」と、いうことよりも、「お洒落をしたいって口に出していいんだ」って思ってもらいたいと思ってやっています。いろんな福祉を取り巻く環境がある中、暗黙の了解で「ハイヒール作りたい」なんて到底言えない、「お洒落したい」と声に出すことに、後ろめたさがあるんです。「歩けるだけで十分」「余計なものにお金を掛けて……」って思う人もたくさんいる。
『身長が高い私が12cmのハイヒール履いて歩いてたら2メートル近くになるので、ただでさえ目立つじゃないですか。そんな私を見たら「俺もかっこいいジャケット羽織りたい」と言えるようになるんじゃないかなって思うんですよ。世間一般のお店に、義足用のハイヒールを置くまでいかないまでも、義肢製作所とか義足を使っている人が行くところにカタログを置くだけでもいいんです。「こういうのがある」って思ってもらえたら。お洒落しないでも満足している人がいるならそれはそれで良くて、「選択する自由」――そういうところにつながるようにと思っています』。
アートのこと、これからのこと
『製作活動自体は、ハイヒールプロジェクトとは違って、生活の一部なんですよ。絵も、「これは、あの気持ちを表現しているんです!」とか、「悲しいことがあって……」っていうことはなくて、小さい頃から当たり前にやってること。ふと気づいたら描いたり縫ったりしてるし、飽きれば1週間くらいやらないときもある。製作で食べていこうとも思っていないです。
『なんなんでしょうね。ただ、人は何にも見てない。だから伝えたいことは大声出したり、体を張って出さないと伝わらないし、言葉のコミュニケーションでさえ分かんないのに、どうこの気持ちを表現したらいいのか。言葉にすらできない気持ちはどう伝えたらいいんだろうって。それが製作は、方法としては良いのかもしれないって、最近また思うから』。
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