争いはたくさんのものを失わますが、衣服の文化もその影響を免れることはありません。昨年には空爆があり、いまだ状況の安定しないパレスチナ。その豊かなテキスタイルカルチャーを守りたいというメッセージを発信しているのブランドが「パレスチナ・アマル」です。パレスチナの女性たちが作った手刺繍のアクセサリーやバッグを。そしてパレスチナに唯一残る織物工場から「ラスト・カフィーヤ」を届けています。「物語がいま、途絶えそう」というその理由は? そのワケを紐解くと、何百年もの「交わり」と「諍い」の歴史がありました。
もともと豊かなテキスタイルカルチャーの土壌
パレスチナはアラビア語でシャーム地方と呼ばれる、シリアを中心とした東地中海アラビア語圏の西南部にあたります。古来から綿花や育てて生まれた綿織物や、盛んな養蚕から生まれた絹織物、また遊牧民たちがやぎや羊などを連れていたことで毛織物も発達していました。また藍染めなども盛んで、青く染められたコットン生地に刺繍を施したり、絹の端切れを飾りに施したりしていたといいます。
18世紀半ばにヨーロッパで産業革命が起こると、ヨーロッパの各国は急増する繊維製造に対応すべく原料の獲得に世界に乗り出しますが、その供給源として欧州諸国の大きな注目を集めた……と、いうことからも分かるように、実に豊かな土壌があったのです。
混じり合いでいっそう多彩に
多様な文化が常に行き交っていたことも、同地域のテキスタイルカルチャーをいっそう多彩にさせました。この地域は、アジアとヨーロッパをつなぐ窓のような交易の要衝。遠くインドや東南アジア、中国からは香料や織物が運び込まれ、ヨーロッパからは銀や羊毛製品が運び込まれていました。
20世紀前半になってイギリスが植民地化すると、ミッションスクールでの女子教育などを通じてヨーロッパ風の衣服文化がさらに流入しますが、この時期を境に、同地域の衣服文化のテイストが大きく変わったといいます。たとえば、刺繍。ヨーロッパから花瓶や立体的な花など、洋風の図案が紹介されました。このように、より多彩になった側面がある一方、ヨーロッパ製の化学繊維も流入し、打撃を受けたテキスタイルメーカーもありました。
諍いが断絶を招く
それがぷっつりと途絶えてしまうのが、1948年。ユダヤ人の国・イスラエルが建国された年です。その結果、同じ地域に住んでいた80万とも120万以上ともいわれる数のパレスチナ人たちが、土地に住まうことができなくなり難民化。手工業は絶たれ、産業としても大きく途絶えてしまいます。
しかし、建築物などの大きな「文化」とは違い、衣服とは彼らが身につけて逃げられるもの。産業は途絶えても衣服文化そのものは、彼らとともにわずかながら持ちだされます。土地を失ったいま、衣服はパレスチナの文化やアイデンティティの象徴となっているのです。
その一つであるカフィーヤは、もともとは男性が農作業をするとき日焼け防止のため頭に着用していたもの。風呂敷としてお弁当などを包んで持ち歩くこともある、日常に根付いた織物です。日本では「アフガンストール」とも呼ばれることもあるこのカフィーヤですが、本来アフガニスタン近辺ではカフィーヤは着用されないものです。なぜ「アフガンストール」と呼ばれることになったかは定かではありません。
「安さ」がいっそうダメージを与える
いまでも重用されるカフィーヤですが、パレスチナ人当人たちの間でも中国製の安価なカフィーヤが出回っているといいます。品質も触れば明らかに違ううえ、図柄も大量生産用の簡略化したもの。本来は千鳥格子を想起させるような伝統的なパターンがいくつかありましたが、大量生産品はただの格子柄のものが目立つといいます。伝統的な柄には意味があり、カフィーヤを縁取るタッセルにも種類と歴史があるのに……それが失われつつあります。
現地の当人たちもけっして余裕のある暮らしをしているわけではなく、「実用品として使えれば良い」と、現実的な選択で安い大量生産品のカフィーヤを購入。イスラエルによる完全封鎖や、ガザ攻撃の影響で外国人観光客も減少し、販売の機会も激減。それら状況があいまって、パレスチナのテキスタイル産業はほぼ崩壊しているのが現状で、現在パレスチナに残る織物工場は、たった1カ所が残されているだけです。
交わりの歴史を感じる「ラスト・カフィーヤ」
「パレスチナ・アマル」の「ラスト・カフィーヤ」は、中国産にシェアを奪われ、パレスチナに唯一残る織物工場で作られています。
織り機はなんと日本製(SUZUKI LOOM)。いまは自動車メーカーとして有名なスズキですが、1930年代には鈴木式織機株式会社として織機の輸出も行っていました。工場のオーナーいわく60年前から使っているそうで、100年は使うのだと豪語しているといいます。そんな驚きのつながりにも、交易の神秘を感じます。
風土や歴史、いくえにも重なった偶然の中に生まれる文化の一つがテキスタイル。それを身にまとうのは、その地で受け継がれてきたメッセージを身にまとっているような気分にさせてくれます。その中で、失われそうな物語を紡ぎ直そうとしているのが「パレスチナ・アマル」の「ラスト・カフィーヤ」。日本とパレスチナ、作り手と使い手、モノと人とがぎゅっと結ばれていくストールなのです。
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