タイ・チェンマイにあるエイズ孤児たちの生活施設「バーンロムサイ( BAN ROM SAI )」。ここは、両親をエイズで亡くし、自分たちもHIV/AIDSに母子感染した孤児たちの生活施設です。ジョルジオアルマーニジャパン社の資金協力を得て、1999年12月にタイ北部のチェンマイ市郊外に開設され、2014年7月の現在、3歳から18歳まで30名の子どもたちが暮らしています。
設立から15年。振り返れば激動のときでした。開園した初めの頃は、根強い偏見や差別、抗HIV療法もなく、子どもたちが次々に亡くなるという苦い経験もありました。しかし現在、バーンロムサイは地域社会に溶け込み、さらに頼りにされるようにもなってきたといいます。
バーンロムサイが見てきた15年を、設立された母親である創設者・名取美和さんとともに、立ち上げのときからサポートしているNPO、バーンロムサイジャパン代表・名取美穂さんにお伺いします。
―― バーンロムサイでは2003年から寄付以外の収入を模索して、独自の商品を開発・販売をしています。それから10年がたちましたが、現在どういった状況でしょうか?
「『今年寄付をいただいても、来年は……?』という心配を減らしたい!」との思いで縫製場を作り、本格的に商品開発・販売に乗り出しましたが、利益を継続的に出し、伸ばしていくのは本当に大変と実感しています。商品販売だけで運営できるようになるにはまだまだです。
まずバーンロムサイでは敷地内の工房で、十数名のチームが一点ずつ手作業で生産しています。そのため、何百という単位での生産は難しいのが現状です。それに加え最低賃金も上昇し、物価も上がりました。デザインと価格のバランスをいかに取っていくか?というのが課題です。あと、「タイ=アジア=安価」というイメージを持っているお客さまがいまだに多いのも悩みどころですね。
2011年からは、支援者のみなさんのおかげでできたゲストハウス「hoshihana village(ホシハナ・ヴィレッジ)」の運営も始め、これも自立を目指すための事業となっています。いずれの事業も、少数民族の支援や子どもたちの職業訓練、ゆくゆくは子どもたちの仕事場となることも見据えた取り組みとなっています。
―― それはつまり、どういうことでしょうか?
2002年11月から抗HIV療法を始めましたが、そのおかげで子どもたちが成長して大人になり、社会に出られる可能性が生まれました。副作用の心配はやはりありますが、子どもたちに将来がある以上、彼らが自立して生きていけるようにしないといけません。
これまでに7人の子どもたちがバーンロムサイを出て、無事社会で一人暮らしをしていますが、やはり全ての子どもが順風満帆、というわけにはいきません。日々飲まなくてはならない大量の薬による副作用のほかにも、HIVウイルスの影響で軽い知的障害が認められる子どももいます。「打ち明けられない」「理解してもらえない」というつらい思いをすることも多々あるうえ、孤児というハンディも背負って生きていかなければなりません。
社会に出て普通に働くということが難しい状況の中、ホーム内の縫製場やゲストハウス、そして建築現場が彼らの職業訓練の場となり、ゆくゆくは働く場となれば、という思いを抱くようになりました。
その思いが少しずつ現実のものとなってきており、「hoshihana village」では2人の女の子が、大工チームには男の子2人が弟子入りしました。縫製場でも基礎を習い始めた子どもがいます。いずれは子どもたちが家業を継ぎ、彼らで運営していけるようになることが目標です。
―― いずれは自分たちで運営できるような自立を目指す。事業一つひとつが、そのしくみになっているんですね。
そうですね。バーンロムサイのあらゆる仕事の中で、子どもたちがなにか一つでも好きなことを見つけ、それで手に職を持って自立できたら、と思っています。好きなことが見つかれば多少ハンディがあっても頑張れるし、私たちもなんらかの継続したサポートをしていくこともできると考えています。
支援は継続して必要ですが、ボランティアや寄付は「できる人ができることをする」というのが基本。無理をして身を切ることになったら続かないので、できないときは無理しなくても良いと思います。だからこそ継続して無理なく支援していただけるしくみとして、純粋に「良い」と思っていただけるようなものづくりを続けていきたいと思います。
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