「ホームスパン」という言葉を聞いたことはあるだろうか?
「ホームスパン」とは、「家庭で紡がれた」という意味で、「手紡ぎ・手織りの毛織物」のことを指す。その歴史はスコットランドから始まるといわれ、さらに元をたどると、スコットランドやアイルランドの農家で、羊毛を染めて手紡ぎした糸のことを「ホームスパン」と呼ぶ。
その糸を使用して織られた毛織物のことを「ツイード」と呼んだ。しかしいまでは、ツイード生地に使用される糸はほとんど機械で紡績されているので、「ホームスパン=ツイード」ではない。
手仕事は採算が取れない。それでも手仕事にこだわる理由
蟻川工房では、1着分の生地用に糸を紡いで織り上げるのにかかりきりで取り組んでも1カ月掛かるという。確かに、機械で作らないと採算はほとんど取れないもの。それでも手仕事にこだわるのは、手紡ぎ、手織りで生まれた生地を用い、仕立て人が1枚ずつ裁断して縫い上げ、それを何世代にもわたって大切に受け継いでいく……そういった衣服文化をまるごと伝えようとしているからだ。
私たちの生地が欲しいと、大手企業から依頼を受けたことがありました。しかし手紡ぎ手織りで作っているので、大量のメーター数を仕上げることはできませんし、屏風畳みにして機械で一気に裁断するような、私たちからすると乱暴な作り方をするものに生地を使ってもらいたくなかった。残念ですが、お取り組みできません、というお返事を致しました。
岩手県ではホームスパンは「憧れの品」なんです。とても値が張って、おいそれと買えるものじゃない。だから「退職祝いにホームスパンのウールジャケットを仕立てよう」といって仕立てたりします。岩手の文化の一つです。そういった1枚ずつ丁寧に思いを込めたものづくりが残ってほしいと思います。
「終わりがない仕事」を終わらせないために
2010年から正式に工房を継いだ伊藤さんは、最初はただ織物がしたいという気持ちから、24年前、比較的近くにあった蟻川工房の門を叩いた。それがいわば「のめり込んだ」かたちだ。伊藤さんは、その魅力をこのように話す。
染めて、紡いで、織って、仕上げをする。いつも同じ仕事しているんだけど、いつも同じでもない。ちょっとしたことで染めのでき、糸のでき、織りのできが違ってしまう。長くやっているけど、終わりがない仕事なんです。
現在、紳士服のコート需要が中心で、銀座の一流テーラーにファンがおり、2年に1度銀座のギャラリーで展覧会をしているという。しかし銀座のテーラーも減りつつある。さらに、生地1メーターの価格は4万円。仕立て代もかさみ、単純にウールコートの値段に換算しても30万近くにもなってしまう。いまは、知る人ぞ知るアイテムだ。
しかし、それでは先細りだ。そこで伊藤さんは、次のように考えているという。
ホームスパンは、静かながらもずっとファッション産業では注目を浴びている素材です。それはたいへんありがたいことですが、より多くの人にもっと知ってもらうことが必要だと感じています。そこで、女性ものをもっと仕立てて販売していきたい、と思っています。私たちの思いに共感してくれるデザイナーさんとお取り組みをして、丁寧にコートを仕立ててもらって販売してみたい。生地のままだとピンとこない方もいると思いますが、かたちにしておけば、気に入ってくださる方はきっと増えると思うんです。
また、気軽に取り入れられるホームスパンウールのマフラーのほか、綿や麻の生地も織り、ショールなどにして販売している。2014年夏以降、表参道のBEAMSにて取り扱いが始まる。ぜひ直接手に取ってみてはいかがだろうか。
「作家」の作る「作品」ではなく、「工人」の作る実用のための「日用の品」。実用の中で醸しだされる美しさこそ「用の美」であり、生活の中に生まれるもの。美しさのある生活を静かに積み重ねることで文化が生まれ、それをまとうことでいっそうものが光る。そんなループがあるのではないだろうか。そのループを絶やさないように、蟻川工房は日々丁寧にまじめに、手仕事を続ける。
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